【野球】阪神・高橋聡、実はアツい男。後輩への“ラストメッセージ”とは
9月30日・中日戦(甲子園)の登板をもって、現役引退した阪神・高橋聡文投手(36)。左肩のコンディション不良の影響もあり、シーズンの大半を2軍で過ごしたが、最終戦登板では福田相手に全球直球で三ゴロに打ちとり、18年のプロ野球生活に別れを告げた。
マウンド上でもポーカーフェイスを崩さず、多くを語らない投手という印象があった。しかし、1年間取材を行い、熱き思いを胸に秘めている選手だと記者は感じ取っていた。
グラウンドでも投手陣とコミュニケーションを取る選手では無かったが、若手投手らをじっと俯瞰して見ている姿があった。「鳴尾浜で一緒にやっているともちろん思うことはあるね」と左腕。若手だった中日時代の自らと重ね合わせ、こんな提言をしていた。
「僕が中日で若手だった時ですかね…。2軍に居た時に『ここから絶対にはい上がって、1軍で投げるんだ』という思いは常に持っていたんですよ。阪神に来て、若い投手がたくさん居て、あの頃を思い出すというか。今の子たちも2軍の環境に慣れるんじゃなくて、上がるためにもっと練習しよう、努力しようというのは大事なことですよね」
今季、育成1位で入団し、支配下登録を勝ち取った片山には、実際にそのような言葉を投げかけた。「プロに入ったというだけでは意味がない。やっぱり野球選手は、1軍で活躍してこそ野球選手だよ」。実はこの2人、以前から縁があった。
中日ファンだった片山少年が中日の選手とのふれあいイベントに参加した際、初めてキャッチボールをした選手が若かりし頃の高橋聡だった。プロ入り後は、3月8日の教育リーグ・中日戦(鳴尾浜)で初バッテリーを組んだ。
記者も1軍で、そんな光景が見られたらと楽しみにしていた。叶うことはなかったが、高橋聡からの言葉は、片山の胸に強く焼き付いているだろう。
532試合に全て救援で登板してきた鉄腕。実績、数字からもプロ野球に貢献してきたことが分かる選手だが、常に取材が終わった後「また、話しましょう」と穏やかな表情を浮かべている姿が印象に残っています。中日14年間、阪神4年間の計18年間の現役生活、本当にお疲れ様でした。(デイリースポーツ・関谷文哉)