【野球】野球人生“終活”の場…古豪復活を託された72歳の老監督 息子のコーチ就任も刺激
野球人生“終活”の場と言っていいだろう。12月1日に広島の古豪・呉港の監督に就任した片岡新之介氏は「甲子園で勝てるチームを作りたい。あとは指導者を育てていきたい」と、目を輝かせた。
半世紀以上野球に携わってきた72歳の野球人は「高校、大学、社会人、プロで選手としてやらせてもらった。そしてプロ、社会人、専門学校、高校の指導をさせてもらっている。野球界になにか恩返しできれば」という。
プロでは捕手として活躍したが、倉敷工時代には平松政次(元大洋=現DeNA)、松岡弘(元ヤクルト)、森安敏明(元東映=現日本ハム)と並んで岡山四天王と呼ばれる投手としても活躍した。
芝浦工大、社会人のクラレ岡山を経て1969年度ドラフト会議で西鉄(現西武)から捕手として5位指名を受けた。社会人・クラレ岡山で70年はプレーし、71年から西鉄のユニホームを着た。一時はレギュラー捕手として活躍したが75年オフに阪神へトレード。田淵幸一、若菜嘉晴らの控え捕手として活躍、80年オフに阪急(現オリックス)に移籍し、86年限りで現役を終えた。
87年から広島のバッテリーコーチに就任し、指導者へと転身した。17年間1、2軍のバッテリーコーチを務め、西山、倉、石原らを指導してきた。2004年から社会人・JR九州のコーチ、07年からはMSH医療専門学校の監督を務めた。
今は選手として歩んだ道を指導者として逆に歩んでいる。「もうこの年だから最後やろうね」と呉港での指導生活が、野球人生最後の場とする覚悟でいる。ただ、体力、気力は衰えることはない。JR九州のコーチ時代に胃がんを患ったが「その後は一切病院にかかっていない」と胸を張った。ノックバットを握り、ときには捕手の構えを見せ選手をハッとさせる。
負けられない相手がいる。呉港の監督に就任した12月、長男・寛典氏が社会人野球の名門・JX-ENEOSの投手コーチになった。広島商、駒大を経てJX-ENEOSとアマ球界の名門で投手として活躍。野球を引退してからは社業に専念していたが、この12月に大久保秀昭監督の復帰とともに投手コーチとなった。
「最初は仕事にも慣れ、野球部に戻るのは複雑だったみたい。それがオープン戦を終えて野球人としての血が騒いだようだ。メールに“勝つチームにする”と力強く書いてきたよ」と、目を細めた。野球人のDNAを受け継ぐ息子のメールは、大いに刺激になったようだ。
呉港は、広島の高校野球界はもちろん阪神OBにとって特別な高校だ。初代ミスタータイガース・藤村富美男さん(故人)の母校である。また片岡新監督にとっては、阪神時代に指導を仰いだ富美男さんの弟・藤村隆男さん(故人)の母校でもある。「阪神時代にはお世話になったし、縁を感じるよね」という。
近年、甲子園から遠ざかっているものの、戦前は夏の選手権大会で全国制覇を果たすなど、春夏11度の甲子園出場を誇る古豪である。「古豪復活の力に少しでもなれればと思っている。まずはみなさんから『ごこう』と読んでもらえるようにしないと。『くれみなと』としか読まんから」。倉敷工で硬球を握って50年以上がたつ。選手として指導者として野球人生を歩み、最後の働き場とする呉港の今後に注目したい。(デイリースポーツ・岩本 隆)