【野球】明大・善波前監督の心に残る選手 阪神高山の不思議な力
今季限りで退任した東京六大学野球リーグの明大・善波達也前監督が24日に都内の同大学グラウンドで最後の練習に参加した。2008年春から指揮。13~15年、17年には侍ジャパン大学代表の監督も務めた名将は12年間を感慨深そうに振り返った。
在任12年間で9度のリーグ優勝、全日本選手権1度、明治神宮大会2度と計3度の大学日本一に輝いた。広島・野村、中日・柳ら多くのプロ野球選手も輩出。その中でも、12~15年に在籍した高山俊(現阪神)との思い出話は尽きることがなかった。
最も驚かされたのは高山の不思議な力だ。試合中に打撃の助言を与えると、言ったように打ってみせる。15年の侍ジャパン大学代表の選考合宿でもそうだった。高山は最終日まで調子が上がらず。当時、大学ジャパンも指揮していた指揮官は一塁ベンチで代表のあるコーチに「高山をどうする気なの?」と意見を求められた。
代表監督として自チームの選手ばかり熱心に声をかけては示しがつかないと静観を貫いていたが、ふと目をやると高山が視界に入った。「高山、外の球をセンターに引っ張る気持ちで打ってこい」。打席に向かった教え子は指示通りに中堅へ鮮やかに打球を運んだ。
「俺がこう言うと打つんだよな。幸せですよね。言ったら打つやつがいるって」。この安打が決め手となり、当時の代表首脳陣らも納得のメンバー入り。出場したユニバーシアードでは優勝に貢献した。
「131本に関われたというのはうれしかった」と、現在もリーグ最多安打記録である偉業に携わったことも改めて喜んだ。記録を意識したのは高山が1年春に20安打を放ち、同秋も16安打をマークした時点。「4年間、使い続けていれば」とマンツーマンでの猛特訓が始まった。
「ティー(打撃のトス)を一番上げたのは高山ですよ」。選手層が厚い中で高山も1年のころ、スタメン出場はまちまち。「まずまわりに認めさせないと。じゃあ(バットを)振らそう」と付きっきりで打撃を見た。その成果もあり、高山は大学8シーズンで最少でも13安打。コンスタントに打ち続けて金字塔を打ち立てた。
ただ、この師弟関係あふれるエピソードには“オチ”がある。4年間を終えて善波監督が高山に対し猛練習の話をすると、当の本人は「いじめられているかと思っていました」とポツリ。「(高山)らしいね。“鈍感力”というか」と、多くのまな弟子の中でもひときわ思い出深そうだった。(デイリースポーツ・佐藤敬久)