【競馬】死の淵から生還した父の思いを背にシングンマイケルの挑戦は続く
競馬って、ただのギャンブルじゃない。ダービー馬も、生涯でひとつも勝てなかった馬も、その1頭の馬を主人公に、携わる関係者それぞれの悲喜こもごもの物語がある。
2019年にJRAで最も活躍した人馬を表彰する「JRA賞」の授賞式が1月27日、都内のホテルで行われた。毎年のことだが、授賞した関係者が一堂に会し、それぞれの活躍したシーンが映像で流されるたびに、感動を新たにし、そんな現場で仕事ができることの喜びを感じる、至福の時だ。
自慢話になるが昨年はことに、宝塚記念&有馬記念のリスグラシューが年度代表馬&最優秀4歳以上牝馬の2部門を制したのをはじめ、ホープフルSのコントレイルが最優秀2歳牡馬に、阪神JFのレシステンシアが同2歳牝馬に。皐月賞のサートゥルナーリアが同3歳牡馬に、桜花賞のグランアレグリアが同3歳牝馬に。それぞれのレースでグリ二重丸を打ち、個人的にも“お世話”になった馬たちが多数そろい、感慨もひとしおだった。
そんな中で、最も感動したのが最優秀障害馬のタイトルを得たシングンマイケルだ。以前から本紙の予想コラムなどでも書いてきたが、その父シングンオペラは、記者が南関東競馬担当時代に取材をしてきた思い出の一頭だ。
2歳の夏に船橋・岡林光浩厩舎からデビュー。芝を求めて積極的にJRAに遠征し、初挑戦のひいらぎ賞では15番人気で半馬身差の2着と、いきなり結果を出した。母タケノハナミは85年ローズSの覇者。芝でもやれる下地はあったが、4角最後方からメンバー最速の脚で勝ち馬に迫ったシーンは、今でも強烈に覚えている。
その後もチャレンジを続け、5戦して2着3回。勝つことはかなわなかったが、重賞に初挑戦した共同通信杯では、のちのダービー馬ジャングルポケットに0秒5差の4着と存在感をアピールした。その後、JRA・高市圭二厩舎へ移籍。7戦して勝つことはできなかったが、01年アルゼンチン共和国杯での3着をはじめ、全て掲示板入りするという堅実ぶりだった。
さらなる飛躍を…ところが悲劇は突然にやってきた。1番人気に支持された02年4月の東京500万下(現1勝クラス)だった。3番手から競馬を進めたものの、直線でズルズルと後退。生涯唯一の2桁着順となる13着惨敗。そこへ追い打ちをかけるように、入線後まさかの事実が判明。両前脚の腱断裂。通常なら、そのまま安楽死となる重傷だった。
伊坂重憲オーナーは当時を振り返り、「種牡馬にする予定はなかったけど、どうか命だけは救って欲しいと、必死でお願いをしたんですよ」と遠くに視線をやった。その思いに獣医師たちの懸命な治療が続き、何とか一命を取り留めた。その後はオーナーの個人所有で種牡馬となり、毎年1、2頭の産駒を送り出してきた。これまで17頭が父の果たせなかった夢の続きを背負って頑張ってきた。そしてそんな中から、ついにシングンマイケルが中山大障害・JG1を制したのだ。
表彰式の壇上で、オーナーは「ここに私がいて、いいんでしょうか?まるで奇跡が起きたと思っています。高市先生との二十数年来の執念が実りました」と感慨に浸った。JRA賞10部門中9部門を大手の牧場が占める中で、「小さな牧場の馬がねえ」とうれしそうに笑った。まさにこれが競馬の醍醐味(だいごみ)だろう。
波乱の“馬生”を送ったシングンオペラ。そんな息子の晴れ姿を見ることなく、昨年3月に21歳でこの世を去った。同10月の東京ハイジャンプを前に、高市師が「オペラの代表産駒にしたいと思っているんだ。以前は雑なところがあったけど、経験を積むごとに、どんどん(飛越が)上手になってきた。素質もあったんだろうね。体幹が強くていいバネをしている。障害へ向かって行く感じで、飛び終えてからグイッと伸びる感じ。こんな馬には、なかなか巡り合えないよ」と、うれしそうに話してくれたのを覚えている。
積極的な競馬から、最後の直線は十分なスタミナを生かし、ライバルたちの追撃を振り切った中山大障害。父に背中を押されたのもあるのだろうか、そのレースぶりは、まさにマイケルの真骨頂といえるものだった。付きっ切りでケイコにもまたがり、デビュー20年目でのG1初制覇となった金子光希騎手がレース後、「やっと夢がかないました。うれしいです。折れそうになる心を鼓舞して、20年やってきました」と声を震わせ涙にくれたシーンは胸に詰まった。17年の初夏、突如病に襲われ、今も懸命に闘い続ける高市師にとっては、大きな勇気となったことだろう。
とはいえ、あとひとつ超えなければならない高いハードルがある。16~18年と3年連続でJRA賞・最優秀障害馬となった絶対王者オジュウチョウサンだ。「皆さんも楽しみにしていることでしょう。オジュウチョウサンと雌雄を決します」と伊坂オーナーは力強く、高らかに宣言した。初めての直接対決は3月14日。阪神競馬場で行われる阪神スプリングJ(芝3900メートル)だ。
勇気と希望を-父から強じんな生命力を受け継ぎ、天性ともいえる抜群の障害センスを備えるシングンマイケル。それに携わる多くの人々。そんな熱い物語は、いま始まったばかりだ。(デイリースポーツ・村上英明)