【野球】前中日監督・森繁和氏 こわもてでぶっきらぼうな“その筋”の人
取材対象でなければ、絶対に声を掛ける勇気はない。オールバック。薄茶色のサングラスの奥に宿る鋭い眼光。肩をいからして歩き、少しガニ股。素性を知らなければ、誰しもが“その筋”の人と思ってしまうだろう。前中日監督の森繁和氏がその人だ。
2004年に中日の監督に就任した落合博満氏の強い要請で投手コーチに就任。02年から中日担当をしていたが、実は就任から1年ほどは全く会話した記憶がない。
話すきっかけになったのは競馬。モリシゲさんが競馬に詳しいという話を耳にし、予想などを聞く流れから、「じゃあ今度、一緒に行くか」ということになり、関東遠征と重なる月曜日に大井競馬場に出陣する“ルーティン”ができあがった。
マークシートの百円の欄しか塗らない(塗られない)当方と違い、豪快な買い方をしていた。ただ、マークシートを塗る作業に慣れておらず、同じ馬券が複数存在したり、それが故に予想段階では購入予定だった的中馬券が手元にない!なんてこともあった。
08年9月1日。前日に2年目の清水昭信がプロ初先発初勝利を挙げていた。すると「ゲンさん(清水の愛称)の初勝利祝いだ!」と言って、清水の背番号である64と初勝利の1を絡めた3連単6↓4↓1を山ほど買っていた。どの競馬予想紙を見ても来るとは思えない馬券だったが、「いいんだよ、来なくても。お祝いなんだから。来たらゲンさんにプレゼントだ!」という親心が胸に染みた。
こわもてだが、温かい人。ぶっきらぼうな口調だが、愛情にあふれている。親分肌で面倒見もいい。選手とはコミュニケーションを密にし、会話を重ねる中で、なかなか表には出さない本性を探り出し、起用の背景とする一面もあった。
「現役を辞めた後をどう過ごすかだ。10年できるやつの方が少ない。現役を退いた後の人生の方が長いんだからな」
浅尾拓也、朝倉健太、岩田慎司、清水昭信…。若くして現役に別れを告げた選手の第2の人生においても、それぞれの性格を見極めた上で、コーチ、スカウト、編成担当らの職を託した。
昨年限りで中日のシニアディレクターを退き、今年から人生2度目の評論家生活に入った。昨年12月には学生野球の資格回復研修を受けた。「まだ俺にはいろいろやりたいことがあるんだよ」。まだまだ意欲旺盛な65歳。無観客競馬が解かれた暁には、また一緒に大井競馬場で叫びたい。(デイリースポーツ・鈴木健一)