【野球】前中日・岩瀬仁紀 下戸鉄腕の悩みを表した円形脱毛症
あのセリフを聞いた衝撃は忘れない。史上最多の1002試合に登板し、史上最多の407セーブを挙げた中日・岩瀬仁紀。42セーブを挙げて4度目の最多セーブを獲得し、自身4度目のリーグ優勝を果たした2010年のこと。
「1日が24時間じゃ足りない」
11月から翌年2月のキャンプインまでの3カ月間、ゆっくりできるはずのオフ。時間にゆとりはあるだろ?24時間じゃ足りないなんて…。
「3カ月じゃ足りないんですよ。これまでの蓄積疲労を完全に取ろうとしたら。毎年毎年、疲労を完全に取りきれないままにシーズンに入って、投げるたびに疲労が少しずつたまっていって。最初のうちはごまかしが利いたんですけど、年数を重ねるうちにそうもいかなくなってきて」
当時35歳。3カ月間のオフを体のケア、リハビリ、静養に充てても抜けきらない疲労。登板機会はなくても、ブルペンで心と体の準備を整える作業が半年以上も続く。白星をつかむための最後のバトンを託される守護神というポジションから来る精神的な負担も大きかったのだろう。
自身初のシーズン登板ゼロに終わった15年のことだったか。「肘に電気が走る感じ。肘の中で、ピアノ線がビーンと伸びきったような感じがするんですよ」。今までに味わったことのない違和感。どんなにケアを施し、日にち薬だと割り切っても、一向に良くならない。強い心を持つ岩瀬も折れそうになった。
下戸。元中日監督の山田久志氏は「酒を飲んで翌日に影響することがない。だからリリーフに打ってつけだと思ったんや」と、岩瀬が酒を受け付けない体質だからという背景もあって、ストッパーに任命したいきさつもある。それでも、酒にはけ口や逃げ道を求め、気を紛らわすことができないから、岩瀬は苦しんだ。
ある時、岩瀬の頭部に異変が起こった。最初は気づかない程度だったが、徐々に髪の毛が抜け落ちていった。円形脱毛症。疲労や精神的ストレスが原因だとされる円は徐々に大きくなり、数も増えていった。
不屈の精神力と懸命なリハビリで翌16年に1軍復帰登板を果たした。だが、直球と魔球と呼ばれたスライダーのキレは全盛期に遠く及ばないものだった。そして、プロ20年目の18年を最後にユニホームを脱いだ。現役時代に「記録はユニホームを脱いでから振り返ればいい」と言っていた左腕。さて、どんな言葉を発したか。
「こんな丈夫な体に生んでくれた両親に感謝ですね」。虚勢を張らない飾らない人柄。なんとも岩瀬らしい回顧だった。(デイリースポーツ・鈴木健一)