【野球】井上一樹、クレームから始まった同級生の絆
それはクレームから始まった。
「あんなん載せると思わないじゃないですか。なんで書いたんすか!」
他紙の記者の携帯電話を借りて、猛烈に怒っている。電話口の向こうは中日・井上一樹。その日に掲載された記事への抗議だった。
2007年3月5日。ナゴヤドームでロッテとのオープン戦を終えた選手駐車場に、井上がボストンバッグとバットケースを抱えて現れた。開幕まで1カ月を切った段階での2軍降格。愛車に乗り込んだ竜の選手会長が、フーッと息を吐いた。
「俺が今ここで何かを言うと問題になるから言わない。あくまでも現役だから、しゃべれないことがたくさんある。引退したらたくさんしゃべるよ。でも、頭の中にはクエスチョンマークがいっぱいだし、どういうふうにこの2軍行きを受け止めていいのか分からない」
前年は規定打席にこそ届かなかったが、自己最高の打率・311をマークし、春季キャンプでも主力組に名を連ねていた。オープン戦出場4試合で5打席無安打だったが、順調に開幕への足場を固めていた自負があっただけに、2軍降格通知に明らかに不満を覚えていた。
最初から最後までその場に居合わせ、『納得できない2軍降格』として記事化した。だが、井上の言い分はこうだった。
「みんな(記者)のことを信頼してしゃべったのに。それを記事にされるとは思わなかった」
数人で囲んだ取材。だが、それまでに井上を取材した回数は少なく、そこで引っ張り出された『信頼』という言葉が引っかかり、こう返した。
「書いて欲しくなかったんだったら、それを言葉にして欲しかった。悪いけど、俺には伝わらなかった」と。
それでも翌日、ナゴヤ球場に足を運んだ。書いた記事は消せないにしても、目を見て話したかった。こちらの言い分、向こうの主張。練習を挟んでの対話だったが、顔を見ながら時間をかけたことで、お互いに納得することができた。
11年に中日2軍監督に就任した彼を再び、ナゴヤ球場に訪ねた。ポケットマネーで監督賞を出し、試合後には熱い口調で1軍昇格を目指す若手選手たちに必要なもの、足りないものは何かを語りかけていた。少し暑苦しく映ることもあったが、何度見てもいい上司、いい兄貴という印象だった。
「俺の言葉を選手がどう感じてくれるかだよね。胸に響かせるには、信頼関係を築く必要があると思うから」
4年ぶりに鼓膜をくすぐった『信頼』というフレーズ。次の瞬間、お互いに含み笑いを浮かべて見つめ合った。(デイリースポーツ・鈴木健一)