【社会】響かない野党の「対案なき批判」…「政権チェック」の役割とは
新型コロナウイルスの感染拡大で、日々のニュースはほぼコロナ一色となっている。中でも毎日のように繰り返されるのが、立憲民主党の蓮舫副代表(52)ら、野党議員による政権批判だ。
確かに、庶民的視線からすると、現政権のコロナ対策は、他国との比較を含め、必ずしも十分とは感じられない。実際に封じ込めに成功している国や、国民への保証がある程度なされている国もある。
だからこそ、蓮舫氏が常に怒りをあらわにすること自体は理解できる。ただ、自身も同じ歳費を受け取っている政治家である以上、批判の裏には対案が用意されていなければならないはず。だが、蓮舫氏のツイッターを読み進めても、具体的な財源や数字を伴った対案はそれほど見当たらない。これは蓮舫氏に限らず、国民民主党の小沢一郎議員(77)らも同様だ。
自身たちが主張しているように、国会の場ではしかるべき案を出しているのかもしれない。だが、ツイッターで批判を庶民に向けて発するのなら、同時に対案もわかりやすく示すべきだろう。わかりやすいツイートで広く批判を展開しているのに、政策については「国会中継を見ろ」というのでは、やはり批判ばかりに重きを置いていると言われるのも無理はない。
「非常時だから、政権批判はしてはいけない」というのはさすがに暴論で、大事なのは「是々非々」だろう。蓮舫氏は2月28日には、政府の全国の小中学校や高校などへの臨時休校の要請について、エビデンス不足として「あまりにも場当たり的すぎる。すぐに撤回すべきだ」と激高した。だが今月6日には「今日、(緊急事態)宣言を出すのであれば、今日から始まる学校を一斉休校要請を先んじて行うべきでした」と主張。迷走している感は否めない。
日本維新の会代表で大阪市長の松井一郎氏(56)は、7日の会見で、立憲民主や国民民主、共産などの他野党が、政府の緊急事態宣言発令が遅いと批判していることに関して、コロナ対策が急務だった今年1~2月に「桜を見る会」などの追及に熱心だったことを挙げ「言う資格ない」「しばらく閉じこもっといて」と非難した。今月行われた一部の世論調査では、立憲民主党の支持率が日本維新の会を下回ったが、こうした動きと無関係ではないだろう。
以前から選挙活動の取材をする中で、違和感を覚えていたことがある。野党の候補者や幹部は、声をそろえて現政権の失政を訴え、種々の問題の責任を負わせる。もちろん政権与党としての責任は大事だが、野党議員もその期間、同じだけの給与を得て同じ国会に出ていたはず。文句を言う気持ちは分かるが、「じゃあ、あなた方は何をしていた?」という疑問は捨てきれなかった。
某野党幹部の公設秘書をしている知人は、この疑問に「しかたない。野党ができるのは政権チェックだけ」と答えた。それは理解できるが、政権チェックとは、「ここが間違っている」と指摘することだけではなく、「ここが間違っているから、こう是正すべき。そのためには具体的にこうすべき」と対案を出し続けることではないだろうか。
言葉は悪いが、ただの批判なら誰でもできる。そして度を超えた批判は、聞くものにとっても心のささくれとなる。そのささくれはいつしか棘となって周囲の心にささり、さらにイライラが加速してしまう。国難と言えるコロナ禍に心を折らずに立ち向かうためには、反与党ばかりではなく、もう少し国民に寄り添う野党であってほしいと望むばかりだ。(デイリースポーツ・福島大輔)