【野球】今中慎二 国民的行事に犯した大失態
巨人・長嶋茂雄監督は国民的行事と呼んだ。プロ野球史上初となる中日と巨人による同率首位チーム同士の最終戦。俗に言う「10・8決戦」。1994年10月8日の土曜日。午後6時から始まった運命の一戦。愛知県に住み、当時大学生だった記者はくぎ付けになっていた。
2点を先行されながら、中村武志の適時打などで同点。しかし、全幅の信頼を持って送り出されたエース・今中慎二が4回5失点とまさかの乱調。最後は桑田真澄のカーブに小森哲也のバットが空を切った。長嶋監督は宙を舞い、高木守道監督は涙をのんだ。
中村の適時打が飛び出した午後7時ごろだったか。家の電話が鳴った。「鈴木先生、今日、6時からですよ。忘れてましたか?」。当時、名古屋市内の学習塾で講師のアルバイトをしていたのだが、完全に頭から抜け落ちていた。「生徒たちにはうまく説明しておきます。精一杯、中日を応援してください」と言ってくれた塾長。国民的行事に心を奪われてアルバイトをすっぽかしてしまい、受話器越しに何度も頭を下げた。
細身の体から、しなやかな腕の振りで150キロ近い快速球を繰り出し、曲がりの大きな80キロ台のスローカーブを投げる今中のファンだった。あまりマウンドでは喜怒哀楽の感情を出さないクールな立ち姿も憧れだった。
97年。甲子園球場での2軍戦で初めて彼を取材した。前年まで4年連続2桁勝利を挙げていたが、左肩痛を患っていた当時の最速は全盛期には程遠い120キロ台後半。「今やれることをやっていくしかない」。初取材で耳にした悲痛に似た言葉の響き。どこか曇った表情を今も記憶している。
消えない痛みと違和感。日によって治ったと感じることもあったが、長続きはしなかった。懸命のリハビリ、それまでは拒絶していたウエートトレーニングも始めた。手術も受けた。だが、あのころの自分は取り戻せなかった。
通算91勝69敗5セーブ。01年を最後に現役に別れを告げた。02年から評論家として第2の人生をスタートさせた彼は言った。著書と同じように「悔いは、あります」と。体本来の治癒力を最優先したいとして、登板後のアイシングを積極的に行わなかったことなど、「もう一度やり直せるなら、時計の針を巻き戻してみたいな」とも。
ただ、オールドファンならずとも、ムチのようにしなる背番号14の投球フォームは、今も脳裏に深く刻まれている。密度の濃い13年のプロ野球人生。記憶は色あせない。(デイリースポーツ・鈴木健一)