【野球】安仁屋宗八氏の野球人生“外国人監督との衝突”が転機に

 現在の好々爺(や)然とした姿からは想像できないが、現役時代は血気にあふれていたようだ。広島で解説者、ラジオパーソナリティーとして活躍するカープOB会長安仁屋宗八氏(75)=デイリースポーツ評論家。“沖縄の星”と呼ばれた男の野球人生を振り返れば、外国人監督との衝突が転機となっていた。

 最初は1974年。当時打撃コーチのルーツからアンダースロー転向を勧められた。開幕が差し迫る中の提案に「なぜキャンプの時に言わなかった?」と拒否。そのオフ、まさかのルーツ監督誕生となり、若生智男(現本紙評論家)とのトレードで阪神に移籍した。

 新天地では中継ぎでよみがえった。1年目は66試合に投げ、12勝5敗、7セーブ、防御率1・91の好成績で、最優秀防御率のタイトルを獲得。同年オールスターにも江夏、田淵、藤田、中村勝らと出場を果たすなど「カープを見返したい」という思いを結実させた。

 しかし、阪神5年目を迎えた79年、今度はブレイザー監督と意見がぶつかる。指揮官の「スライダーは球が軽くて本塁打になりやすいから右打者の内角には投げるな」という指摘に首を横に振った。

 「ワシはスライダーでファウルを打たせてカウントと整えて、シュートで打ち取っていたんじゃ。反抗してまた使ったら、たまたま甘くなった。意地になってるから、力んで投げたんじゃろな。ほーら見ろとすぐ2軍に落とされたよ」

 そこから長い2軍暮らしが続いたという。オフは阪神から2軍投手コーチ就任を打診されたが、広島・古葉監督から「現役を続けたかったら帰ってこい」とラブコールをもらい6年ぶりに古巣復帰。初めてリーグ優勝を経験し、日本シリーズ登板も果たした。

 「ワシは外国人監督と相性が悪いんだよ。反抗されるのを嫌うみたいで」。安仁屋氏は不思議そうに笑う。現役18年。通算119勝は自らのスタイルを貫いた意地の結晶だ。(デイリースポーツ・杉原史恭)

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