【野球】ロッテ バレンタイン監督の執念が呼んだ31年ぶりの優勝
もう15年前とは思えないほど、2005年にロッテが成し遂げた31年ぶりの日本一は鮮明に記憶に残っている。当時、入社1年目で初めての配属がロッテ担当。万年Bクラスだったチームが、公式戦で快進撃を続けた。リーグ2位からプレーオフでソフトバンクを下し、逆転優勝。そして阪神を圧倒的な強さで退け、甲子園でボビー・バレンタイン監督が宙を舞った。
なぜ、ロッテはあんな戦いぶりを見せられたのか-。当時の取材手帳と記憶をひもとくと、“執念”という言葉が一番、マッチするような気がする。プレーオフが間近に迫った9月末、球場近辺のホテルでボビーをインタビューする機会に恵まれた。どうしても聞きたかったのが1995年の出来事。就任1年目でいきなりチームを2位に躍進させた。短時間で練習密度を上げ、試合にベストコンディションを持って行く。そして斬新な選手起用はボビーマジックと称された。だが広岡達朗GMら当時のフロント陣と運営方針などが折り合わず、たった1年で解任された。
恐る恐る「あの時は…」と聞くと、せきを切ったように指揮官の口からあふれる思いが飛び出してきた。「もちろん当時のフロント陣は素晴らしい方たちだった」と前置きした上で「私は現役時代に右すねを骨折して選手生命を絶たれてしまった。だから過度な練習はやらせない」と語気を強めていた。
さらに「あの年のことはメジャーに帰っても忘れたことはなかった」と振り返り、「私が正しかったことを証明したい」-。指揮官としての意地とプライドをまくし立て、その言葉にひしひしとにじむ執念が、チームを突き動かしていたように思う。
当時、野手では今江、西岡が台頭。中堅の福浦、サブロー、里崎、橋本将に、ベテランの堀、小坂。助っ人ではベニー、フランコら屈指のメンバーがそろっていた。投手陣も先発ローテは清水直、渡辺俊、小野、小林宏、久保、セラフィニと10勝投手が6人。復活を遂げた黒木、左腕の加藤もローテの谷間を埋めた。
リリーフ陣では薮田、藤田、小林雅の3人が「YFK」として安定した数字を残した。当時の選手たちを取材していても、まだ20歳前後の西岡が「チームが勝つためにはもっとこうした方がいい」「もっとこうすれば勝てるんじゃないか」と頻繁に口にしていたのを覚えている。
ボビーと選手たちで背景こそ違うが、「勝ちたい」「俺たちが強いことを証明したい」という一心であの当時、戦いに臨んでいたように思う。優勝した経験はほぼ誰もなかったが、そんな経験を上回るほどの強い執念が爆発的な勢いを生んだように思える。
あの年、ボビーは「物事はポジティブシンキング。チームはファミリーなんだから」とよく言っていた。物事をすべていい風に捉えれば、他者への不満は消える。「チームを信じて戦う。それが私のチームだ」。監督、選手が一体となって戦っていたからこそ、2005年当時、31年ぶりの日本一へ突っ走ることができたのかもしれない。(デイリースポーツ・重松健三)