【野球】阪神・藤浪が背負う「宿命」…670日ぶり勝利へ「希望」の先発
あの日、甲子園球場は普段とは違った雰囲気だった。好奇、感動、興奮、落胆、希望。刻一刻と変わる空気が、浜風に乗って肌を包む。最後は、小走りでベンチに戻る男に、4947人のスタンドが拍手を送った。そこに敵味方はなかった。
7月23日の広島戦。阪神・藤浪晋太郎投手が357日ぶりの1軍登板に臨んだ。入団から3年連続で2桁勝利を記録。それでも、ここ数年は苦しんでいた。「あとがないつもりで」と口にし、自分自身にプレッシャーをかけて臨んだ2020年。だが、いきなりスタートにつまずいた。
開幕ローテをほぼ手中に収めながら、3月に新型コロナウイルスに罹患(りかん)。復帰後は練習遅刻で2軍に降格し、6月上旬には2軍の実戦で右胸の軽度筋挫傷で足踏みした。
【好奇】
全てが温かい激励ばかりではなかったのは確かだ。叱咤(しった)もあれば、非難の声もあった。身勝手な中傷もあっただろう。それら全てを受け止め、もがき、苦しみ、再び1軍のマウンドに戻ってきた。
「663日ぶりの勝利ならず」
降板後、デイリースポーツのネット記事は、「Yahoo!」のトップ記事として扱われた。負けてなお、注目されている証しでもあった。同日は民放の全国ニュースでも、スポーツコーナーでトップの扱い。「宿命」といえば簡単だが、勝っても負けても話題になるのは、やはり限られた存在なのだろう。
【感動】
同日の広島戦。五回まで2安打無失点に抑えた。最速156キロの直球を軸にした投球には躍動感があった。半信半疑だった声援は、次第に歓声に変わっていた。だが、2点リードで迎えた六回のマウンド。先頭の西川に中前打を浴びると1死後、連続四球で満塁のピンチを背負う。ここで松山を迎えた。この日最速156キロの直球で押したが、なかなか抑えが利かない。
【興奮】
それでも3ボールから最後は、154キロの直球で見逃し三振に斬る。ハラハラ、ドキドキの展開。ピンチを脱した…かに見えた。だが、暗転したのは続くピレラとの対戦だ。1ボールから2球目、154キロの直球が高めに浮いた。この時だけ浜風がやみ、左から右に吹く風にも乗った白球が、右翼フェンスをわずかに越えた。
【落胆】
勝利を目前にした中で、まさかの逆転劇。それでも七回途中の降板に、スタンドは惜しみない拍手を送った。勝ち負けを凌駕(りょうが)した106球の物語。期待と不安が入り交じった復帰登板は、見る者の心を躍らせ、逆転で落胆し、降板では次戦に向けたエールに変わった。敵も味方も、ファンもアンチも注目させる魅力。プロ野球が一握りの世界なら、その中でも限られた存在なのだろう。そんな拍手は藤浪にもしっかりと届いていた。
「5000人という特別な観客数ではありましたが、応援していただけることがすごく励みになりました。敵地にはなりますけど、歓声に応えられるような投球をしたいです」
【希望】
復帰2戦目の登板、舞台は30日のヤクルト戦。神宮球場にはどんな空気が流れるだろうか。栄光を知り、挫折も味わった。傷つき、失敗もし、それでも前に進み、エールを受ける場所に帰ってきた。さあ、670日ぶりの勝利なるか。物語の続きを待ちたい。(デイリースポーツ・田中政行)