【野球】知的障害のある球児にも甲子園への道を…元社会人クラブチーム監督の夢

 コロナ禍で春夏の甲子園が中止となった衝撃は記憶に新しい。球児にとって聖地という存在の大きさを改めて感じさせられた中、知的障害のある高校生のみの単独チーム設立を目指す指導者がいる。社会人クラブチーム・YBC柏の監督を19年に退任した久保田浩司氏は特別支援学校の教員としての顔を持ち、生徒にソフトボールを教えてきた。異色の経歴の持ち主は高校球界に新たな潮流が生まれることを願う。

 知的障害のある生徒たちと、ずっと向き合ってきた久保田氏だからこそ、彼らの硬式野球への挑戦が決して夢物語ではないと訴える。「偏見を持たずに、同じルールの中でやれば対等。やれる子は勝負していけばいい」。現在は特別支援学校の主任教諭に専念しているが、元高校球児で日体大野球部出身。昔から指導者として教え子を甲子園へ導くのが憧れだった。

 根底にあるのはソフトボール部の監督としての経験だ。1988年に教師となり、少したつと顧問に就任。ボールの握りや集合といった基礎的な部分から丁寧に教えていった。「時間はかかるけど、この子たちはやればできる」。まさに一からチームを作り上げ、特別支援学校による毎年9月の都大会を14度の優勝を果たしてきた。

 忘れない1勝も壮大な目標への原動力になっている。大会で勝ち続けるにつれ、芽生えた思いは強い相手との腕試し。健常者チームに挑んで何度もカベに阻まれながら、17年の歳月をへて社会人チーム相手の一般大会で勝利をつかんだ。スコアは7-6。最初に受けてくれた高校女子ソフトボール部との練習試合で0-21と惨敗して以来、地道な歩みが実を結んだ瞬間だった。

 「同じソフトボールという土俵で一切ハンディなくやれば、高められる」。健常者との試合でウインドミル投法を目の当たりにすると、選手たちの向上心にも火がついた。率先して競技の参考書を読むようになり、変化球を覚えるまでに成長。「『本当に障害があるんですか?』と声を掛けられることもあった」と対戦相手から驚かれるようにもなった。

 特別支援学校といっても障害の程度はさまざまだ。軽度なものでは家庭環境などが原因で適応障害となり、普通学校から転入してくる生徒もいる。久保田氏が関わった中にも中学野球のシニアで活躍した存在ながら、精神面に問題を抱えてやってきた高校生がいた。

 YBC柏(結成当時はYBCフェニーズ)で硬式野球の現場に携わってきた日々も大きかった。親交の深い元中日・谷沢健一氏から頼まれたのが縁。2005年の創設期から参加してきた。ナインの悩みは特別支援学校でのものとほとんど変わらず。「指導の本質は同じだな」と改めて気づかされた。

 日本高野連の規定では特別支援学校の加盟について、全日制高校と同じ承認手続きと定められている。ただ、07年に学校教育法の改正で盲、聾(ろう)、養護学校が特別支援学校へと一本化されて以降、14年夏に鹿児島特別支援学校が新たに加わったぐらい。同校は15年秋から公式戦に参戦しているが、いずれも連合チームで単独出場はかなっていない。

 門戸は開かれている中で、「野球に挑戦したい、対象となる生徒が何人いるか」とクリアしなければならない課題が多いことも久保田氏は理解している。指導者の根気や資質も問われ、なかなか簡単にはいかないのが実情だ。

 「(知的障害のある選手と健常者が)同じルールの中でプレーする。これが本当のバリアフリーだと思うんですよ。そういうのが普通になってほしい」。特別支援学校の球児だけで聖地を目指す。「いつまでも夢を追い続けられるまではやりますよ」と久保田氏。あふれ出す情熱は尽きない。(デイリースポーツ・佐藤敬久)

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