【スポーツ】コロナ禍の世界戦 裁いたレフェリー、新王者に渡したかつて逃したベルト
ボクシングの元日本バンタム級王者で現在は日本ボクシングコミッション(JBC)の審判員を務める池原信遂氏(44)が、今月6日に後楽園ホールで行われたWBO世界フライ級王座決定戦12回戦・ジーメル・マグラモ(フィリピン)-中谷潤人(M・T)でレフェリーを務めた。選手として世界戦を経験したレフェリーが世界戦のリングに立つことは異例で、日本ボクシングコミッション(JBC)の管轄下では国内初だった。池原氏に話を聞いた。
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8回KO勝ちで新王者となった中谷に、ベルトを手渡した。わき上がった自身の感情に“ボクサー”としての生々しさは消えていたという。「よかった、おめでとうという気持ちでいっぱいだった。もしかしたら、自分が巻きたかったと思うかもしれないとも思った。でも、そんな気持ちは一切なくて、レフェリーとしての思いだけだった」
ベルトを巻いてやると中谷は、はにかんだように会釈した。22歳の新王者には「技術力が高い。左ストレート、アッパー、フック、ジャブと多彩で、腕が長いのに近距離でのインファイトもできる。オールラウンドに戦える選手。すごく可能性がある」と大きな未来を予感した。
富山県出身の池原氏は、元WBC世界バンタム級王者の辰吉丈一郎に憧れ、大阪帝拳から1998年にデビュー。全日本新人王、日本王座を獲得した。チャンスは自分の力でもぎ取ってきた。大阪帝拳の先代会長、故吉井清氏は「マッチメークが選手を育てる」という方針だった。実力伯仲の相手との試合を乗り越えることで、選手は成長する。池原氏は東洋太平洋王者だった福島学、鳥海純ら当時の有力者との試合を制して力をつけた。
2006年には元WBC世界フライ級王者で当時同スーパーフライ級3位のメッドグン・シンスラット(タイ)に3回TKO勝ち。メッドグンは、後に6階級を制覇するマニー・パッキャオ(フィリピン)を3回KOで下して王座を獲得した強豪だった。ここで池原氏は世界ランク上位へと躍り出た。
しかし、31歳で臨んだ08年のWBA世界バンタム級王者、ウラジーミル・シドレンコ(ウクライナ)への挑戦は判定負け。ベルトには届かず、09年に引退した。13年からは会社員と二足のわらじでJBCの審判員を務めてきた。WBA、WBO、IBFの資格も取得し、昨年はジャッジとして世界戦デビューした。
選手として経験したからこそ「1試合で人生が変わる。世界戦の重みは誰より知っているつもり」と言う。今回は、コロナ禍になってから海外選手を招いて国内で行われた最初の世界戦。厳戒態勢の中で、レフェリーは誰より冷静でなければならなかった。前日のPCR検査を受けた後はホテルの部屋に隔離された。「イメージトレーニングをしていました。これまでつけてきたレフェリー日記を見直したり、YouTubeのボクシング動画を見たりして。あと、おかしいかもしれないけど、ガッツリと筋トレをしました。後から筋肉痛になってしまうほど」と心身を試合に集中させた。
試合は8回、中谷の左にマグラモがダウン。立ち上がったが、そのままカウントアウトした。一度目のダウンだったが、「ダメージが蓄積していた。ダウンしたことがないという選手だけに、(打たれても)ずっと我慢してきつい顔をしていた。あのまま続行しても打たれるかKOされるだけ。まだ若い選手でこれからもチャンスがある」と、今後を見据えて冷静に判断した。
まぶしいスポットライトが当たるリング上。しかし、レフェリーは、常に選手の陰にいる。安全を守り、試合を守り、自らに光が当たることはない。それでも、池原氏は「今が本当に幸せ」と言う。中学2年で辰吉が初めて世界王者になったグレッグ・リチャードソン(米国)との試合を見て「世界王者になる」と決めた。「結局世界は獲れなかったけど、ボクシングをやってきてよかった。中学2年の自分に胸を張って言ってやりたいですね。『お前は幸せになれる、間違いないで』と」
激戦を重ね「おなかいっぱいでやめた」という現役生活。燃え尽きて引退できる選手は稀だ。そして、新しい目標をまたリングで見つけた。だからこそ「幸せ」と言い切れるのだろう。「いつかは世界中から呼ばれるレフェリーになりたい」。2度目のボクシング人生は、まだ夢の途中にいる。(デイリースポーツ・船曳陽子)