【野球】高1の岩隈久志にサードを守らせ…起こった事件 恩師が明かした原点
7日に引退セレモニーを行った巨人・岩隈久志投手。日米通算170勝を挙げた平成を代表する右腕に高校時代の恩師から苦労話を聞いて記者は衝撃を受けた。堀越高時代に監督をしていた桑原秀範氏(74)が当時の話を語ってくれた。
桑原氏と岩隈の出会いは中学生の頃。「もう独特のしなりがあったから。足腰ができてしっかりすればいいピッチャーになると思った」。自ら練習に足を運び、スカウトしてきた期待の星だった。
当時から投手としての素質を見いだしていた。入学直後は岩隈をサードに配する。「要するにサードのキャンバスで取って踏ん張って投げるのが、ピッチャーの役に立つ。サードをずっとやらせとこうと思って、やらせてたんだよ」。全ては岩隈を思ってのことで、まだ「ひょろひょろだった」という右腕にはしっかり足腰の力が付いてから投手をさせたい。そんな青写真があったという。
しかし、当時は「『将来こうだから、ああだから』という話はしない」時代。サードを守らせる意図を伝えず、岩隈との間に溝が生まれたときもあったという。そして岩隈が1年生の夏を迎える頃、事件が起きる。
「ピッチャーできないのなら辞めます」。サードでの練習に納得のいかない岩隈は練習を休み、退部も考えていたという。桑原氏も右腕の実家に赴いて説得を重ねた。そしてなんとか1カ月後、部に引き戻したという。「これが1番の思い出だね」と笑った。もしあのとき、引き留めていなかったら-。今の岩隈はなかったかもしれない。
その後の活躍は周知の事実だが、2019年に巨人加入後は右肩のケガで1度も1軍登板のないままユニホームを脱ぐこととなった。桑原氏も「もうちょっと最後投げれるかなと思ったけどね。やっぱりちょっと無理だったんだね」と残念がったが「よくがんばりましたねということですよ」と21年の現役生活をねぎらった。球史を彩った過去は色あせることはない。「いろんな道があるからね。野球の経験も豊富なんだからいろんなこと生かせばいいよね」。
プロ入り後は一切連絡は取り合っていないという。「向こうも会いたいと思わんじゃろ…」。桑原氏は照れくさそうでもあり、どこかさみしそうに語った。終わりは始まりでもある。音沙汰なくなって久しい教え子の躍進を、これからも見守っていく。(デイリースポーツ・畠山賢大)