【野球】東日本大震災から30分後-鬼の形相の星野監督、その意味は…

 あの時、星野仙一監督は怒っていた。

 10年前の3月11日、闘将率いる楽天は、兵庫県明石市の明石球場(当時)でロッテとのオープン戦を行っていた。試合開始は午後1時1分。東日本大震災が起こったのは午後2時46分。試合が七回を迎えた頃に、当時の米田球団代表がネット裏から慌ただしくベンチへ動いた。

 午後3時16分に八回表で試合終了。記者席の各社に次々と地震発生の連絡が入る。ベンチ裏では、選手たちが青ざめた表情で荷物を片付けた。それぞれの家族に安否確認の電話をかけながら、移動のバスへ向かう。状況を把握しようと球場出口で様子を見ていた記者は、背中に殺気を感じた。地の底からのような声で、「どけっ!」。鬼の形相の星野監督だった。

 「燃える男」と呼ばれた星野監督だったが、その年に楽天のユニホームを着てからは、むしろ好々爺(や)の雰囲気だった。キャンプで投手陣にノックをして、腰が痛いと笑わせた。若い記者とも気軽に食事をともにしていた。それだけに、仁王立ちする星野監督の姿に、報道陣は立ちすくんだ。深刻な状況を見て、無理な取材を敢行しているものはいなかったと思う。だからこそ、怒りの意味をずっと考えていた。

 同じ目を見たのは13年だった。楽天は巨人と日本シリーズを戦っていた。第7戦、九回にリリーフを告げた星野監督は、球審に「田中!」と怒りをぶつけるように告げた。球審が前日160球を投げた田中の登板を再確認したためとされている。確かに、前後はニヤリと笑っていた。

 しかし、記者にはコールしたあの一瞬の表情が、震災発生直後に明石球場で見た怒りの表情に重なった。目の前の現実に負けてたまるかという怒り。自身は中日でも阪神でも日本一にはなれなかった。傷ついた仙台に優勝をもたらすことができるのか。160球を投げた田中は大丈夫か。そんな不安を凌駕しようと、自分自身へ向けられた怒りではなかったか。

 地震発生から30分後に明石球場で見せた形相も、これから始まる現実を無意識に予感していたように思う。震災直後、野球より被災地のためにできることをしたいというナインの声を「甘い」「俺たちがやれるのは、野球。野球で元気づけることしかない」と一蹴した。冷酷だと言われ、選手との間に深い溝ができた時期もあった。それでも安易に「被災地のために」と言うことや、きれいごとを嫌い、野球人としての現実的な復興支援を探った。グラウンド外でのもう一つの戦いだったと思う。

 震災から10年。今年は特に楽天日本一の映像を多く目にした。それでも一番鮮明に思い出すのは、明石球場で見たあの鬼の形相だ。節目を迎えても、震災の傷跡は深く大きい。さらにコロナ禍によって、改めてスポーツの価値が問われている。観客を満員にして野球で喜ばせることすらままならない今、闘将なら何に向かって怒るのか。何と戦うのだろうか。(デイリースポーツ・船曳陽子)

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