【野球】DeNA・三浦監督よ 恩人・故橋本真也さんに白星を捧げ続けろ
ハマの番長、三浦大輔監督(47)よ。恩人、故橋本真也さんに白星を捧げ続けろ!
DeNAは11日の中日戦(バンテリンドーム)で4点差を追いつき、なんとか引き分けに持ち込んだ。試合後、三浦監督は「諦めなかった結果だと思います」とコメントしたが、7月11日は是が非でも勝ちたかった日だったには違いない。実はこの日は、敬愛していた“闘魂三銃士”のひとりである元プロレスラーの故橋本真也さんが亡くなった日だからだ。橋本真也さんは2005年7月11日に脳幹出血を発症し、40歳の若さでこの世を去った。
三浦監督と橋本真也さんは強い絆で、結ばれていた。蝶野正洋率いるプロレスユニット「nWo」入りし、レスラーのセコンドに付くほどのプロレス好きだった三浦監督だが、そのきっかけを作ってくれたのは橋本さんだった。
確か、私が横浜ベスターズを担当していた1993年ごろに2人はテレビ番組の企画で対談。その際、意気投合し、お互いの家を行き来するなど家族ぐるみの交際に発展した。時には橋本さんに手料理を振る舞われたことさえある仲だったという。
三浦監督は、橋本さんが亡くなった2日後、登板した広島戦では鬼気迫る投球をみせた。当時、31歳だった三浦監督は、この時点で7月は丸4年間も勝っていない鬼門の月だった。だが、ピンチは八回無死一、二塁の場面だけ。これも後続3人を打ち取り、終わってみれば2安打10奪三振。3年ぶりの完封劇だった。
この試合ではマウンドに行く際、追悼の意を込めて橋本さんのテーマソング「爆勝宣言」をリクエストした。そして、試合後、お立ち台で絶句した姿が中継され、紙面を飾った。
当時、私は運動部のデスク業務をしていたが15、16日は横浜市内「久保山斎場」で行われた、橋本さんの葬儀の取材に出向いた。そのとき、久しぶりに会った三浦監督と話をした。三浦監督が表情をこわばらせ「兄のような存在でした。いまだに信じられません。すごくお世話になった方です。ゆっくり休んでください」と声を詰まらせていた。また、「最初に聞いたときは、翌日の新聞を見るまで信じられなかった」ともいったと思う。
橋本さんに後押しされるかのように05年の三浦監督は神がかった。12勝を挙げて01年の11勝以来の2桁勝利。プロ14年目にして初のタイトル(最優秀防御率、最多奪三振)も獲得した。それだけに、11日の勝ち星を挙げられなかった悔しさは並大抵ではないだろう。だが、まだ、シーズンは60試合近く残っている。勝って勝って勝ちまくれ。それをファンも天国の破壊王も待っている。(デイリースポーツ・今野良彦)