【スポーツ】全盛時の中村俊輔が森保ジャパンにいたら セルティックの古橋の活躍に頭をよぎる
もし、全盛時の中村俊輔(43)が森保ジャパンにいたら、東京五輪でメダルは獲れていただろうか。こんな思いが、セルティック新加入のFW古橋亨梧(26)の活躍で頭をよぎった。
J1神戸からスコットランド・プレミアリーグのセルティックに移籍した古橋が躍動している。5日の欧州リーグ予選、FKバウミト・ヤブロネツ戦で初先発初ゴール。8日はリーグ戦初先発となったホームでのダンディー・ユナイテッドFCでは3点を決め、ハットトリックを達成した。
地元サポーターは大喜びだろうが、セルティックでいまだに語り草になっている選手は、中村だろう。セリエA・レッジーナでの活躍が評価され、2005年7月にセルティックに移籍した中村の活躍はチーム史に残るだろう。
06-07シーズンにはチャンピオンズリーグに初出場。グループリーグで、あのプレミア・リーグの超名門クラブ、マンチャスター・ユナイテッド戦では2試合連続でFKを決め、決勝トーナメント進出の原動力となっただけではない。06年10月のダンディー戦ではハットトリックを達成。そのシーズンのスコットランドPFA年間最優秀選手にも輝いた。
中村は00年シドニー五輪の日本代表としても存在感を発揮した選手だった。MF中田英寿がいたため主に左サイドでの出場だったが、グループリーグ、準々決勝・アメリカ戦と全4試合に出場した。
中村の武器はなんといっても直接フリーキックだろう。英フットボール専門メディア「コパ90」が、16年4月時点で世界最強FKキッカートップ5を選定したことがあった。その中で中村は、サッカー史上最高の選手とも呼ばれる、あのFWリオネル・メッシの5位を上回る4位に選出され「日本人MFは21世紀で最高の技術を持った一人で、“デッドボール・スペシャリスト”」と絶賛されたほどだった。
夢物語だが、もし「邪悪な左足はGKを制するパワーを誇る」とまでいわれた中村が森保ジャパンにいれば、準決勝のスペイン戦、3位決定戦のメキシコ戦で、チームを勝利に導く奇跡的なFKを決めたかもしれない。悔しい2試合をみて切実にそう思った。
サッカー記者時代、なぜか中村に100メートル走を提案されたことがある。確か99年シーズンのオフのころだったと思う。横浜F・マリノス担当として東戸塚の練習場に日参していたときの話である。中村が、ちゃめっ気たっぷりである提案をしてきた。「毎日、毎日話をするのはいいけど、それじゃ緊張感がないじゃない。きょうはみんなに100メートルを走ってもらい、18秒を切れなかったら話はしないというのでどう?」というものだった。
大学を卒業して記者になってから不摂生の毎日。体重は増加の一途をたどり、100メートルはおろか50メートル、いや20メートルを走る自信もなかったが、男として売られた“勝負”を逃げるわけにはいかない。必死で走ったはずだが、実はそのときの記憶があまりない。今も覚えているのは吐き気をこらえながら、グラウンドに大の字になった、自分の惨めな姿だけである。=敬称略=(デイリースポーツ・今野良彦)