【スポーツ】“プロフェッショナル”だったボランティア、コロナ禍の五輪支えた責任感
東京五輪が閉幕し、海外から次々と届いているのが、大会を支えたボランティアの働きをたたえる声だ。競技会場を間違えた陸上選手にタクシー代を貸し、その選手が金メダルを獲得したという話もあったが、日々の競技場での迅速ていねいな設営や撤収、選手へのきめ細やかな対応は多くの関係者の目に留まり、心にも届いた。無観客の会場でボランティアの拍手に送り出され、「ありがたかった」と話す選手も多かった。
メディアも記者席や取材ゾーン、記者会見など各所でボランティアと関わった。報道陣もコロナ対策で行動制限が課される中、彼らは情報提供や環境整備だけでなく、密を避けて動線を確保し、少しでも有益な取材ができるようにスペースの確保を図ってくれることもあった。
記者にとっては1998年の長野五輪から2度目の自国開催の取材だった。長野で米国人記者から言われて記憶しているのが「日本ではまだボランティアの精神が根付いていない」という指摘だった。その記者が言うには「ボランティア」とはプロフェッショナルな技能を無償で提供することで、「(無給の)ボランティアなのでできない」は通用しないというものだった。
理屈のぜひはともかく、確かに当時はボランティアが五輪運営の軸を担うという感覚は一般的に浸透していなかった。もちろん、ほとんどのボランティアが実直に仕事をこなしていたが、中には選手村で選手にサインを求めたり写真を撮ったりしているボランティアもいた。自国の五輪をみんなで楽しもうというおおらかさもあった時代で、他国の五輪でも似たようなことは多かった。
「ボランティア」の語源はラテン語で「自由意志」だという。長野から23年。非常時の五輪で「何かできることはないか」とアンテナを張り、緊張感を持って活動する姿は、この大会を何とか無事に完遂しようという強い意志の現れだろう。そして、それぞれの仕事は確かにプロフェッショナルだった。
今回は特に流動的な運営だっただけに、主催者がボランティアの気慨や責任感に助けられた部分も大きかったと思う。選手の活躍とともに、賛否が問われた開催に一つの意味を持たせたのが彼らの存在の大きさだった。(デイリースポーツ・船曳陽子)