【野球】高津ヤクルトと矢野阪神のマッチレース よみがえるノムさんの言葉

 今は亡き野村克也氏の教え子対決に、ノムさんの名言がよみがえってきた。ここまでセ・リーグの優勝争いはヤクルト、阪神、巨人の三つどもえで進んできた。だが、24日から行われた巨人-阪神3連戦で阪神が2勝1引き分けと圧倒。27日時点で2位・阪神と3位・巨人のゲーム差は4まで広がった。

 巨人の自力優勝は消滅し、ヤクルト、阪神とのゲーム差は0。残り20ゲーム余りの状況を考えればペナント・レースはヤクルト、阪神のマッチレースの様相を呈してきた。私が野村ヤクルトを担当していた1992年シーズンのように、最終盤まで決着が付かない可能性は十分だ。

 この両チームの共通点のひとつが、ヤクルト・高津臣吾、阪神・矢野燿大の両監督がノムさんの薫陶を受けた“野村チルドレン”ということである。高津監督は今季就任2年目、矢野監督は就任3年目だが、その手腕が認められ、来季も球団では続投する線でほぼ固まっている。

 この両監督をみて思い出したのが、ヤクルト担当時代、ノムさんから何度も聞かされたある言葉だった。それは「1年目に畑を耕し、2年目に種を撒(ま)き、花が咲くのが3年目」という言葉である。

 90年、ノムさんは「ID野球」を掲げてヤクルトの監督に就任。ドラフト2位で入団した古田敦也をレギュラーに抜てき、前年まで正捕手だった秦真司を外野手に、控え捕手だった飯田哲也を二塁手にコンバートするなどして、後のチームの基礎を築いた。

 この年は関根潤三監督時代の4位を下回る5位に終わった。だが、翌年は古田が攻守ともに成長し、首位打者も獲得した。また、二塁手から中堅手へ再度コンバートされた飯田は、その後強肩と俊足を生かし、ヤクルトにはなくてはならない選手となった。

 チームはAクラスの3位に躍進したが、花が咲いたのは就任3年目だった。荒木大輔、伊東昭光、高野光らけがに苦しんだベテラン投手が復活。西村龍次、岡林洋一ら若手投手も活躍し、78年以来14年ぶりの優勝を果たしたのである。日本シリーズでは惜敗したが、まさにノムさんの言葉通りに花開いた就任3年目だった。

 高津監督は就任2年目で、ノムさんの言葉を借りれば「種を撒く」年だが、奥川恭伸ら若手も急成長し、Vロードを走っている。一方、阪神は19年が3位、20年は2位と順調に成績を伸ばし、「花開く」3年目の今季は、2005年以来のリーグ優勝に手が届く位置に着けている。

 92年は両チームが激突。ヤクルトが5-2で勝ち混戦のペナントレースを制したが、今回はどんなラストが待っているのか。種を撒いた年の高津監督か、花咲く年の矢野監督か。どちらが宙に舞うのか、最後まで興味は尽きない。=敬称略=(デイリースポーツ・今野良彦)

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