【野球】阪神・佐藤輝よ、指揮官の我慢の起用に応え“第二の新浦”となれるか

 阪神のルーキー・佐藤輝明外野手(22)は、矢野燿大監督の我慢の起用に応え、来季は“第二の新浦”になれるか。

 怪物ルーキーと呼ばれた佐藤輝が、後半戦に入り厳しいプロの洗礼を浴びている。打撃不振でファームでの調整を命じられ、9月23日に1軍に再昇格したものの結果はでていない。現在、59打席連続ノーヒットで、93年のオリックス、ケルビン・トーベの53打席ノーヒットを超えて、NPB野手ワースト記録を更新し続けている。

 それでも矢野監督からチャンスをもらっている姿にフッと浮かんだ人がいる。わずかな期間であるが、92年シーズンに担当した新浦寿夫のことである。

 新浦は巨人-KBO(韓国プロ野球)のサムスン-大洋(現DeNA)-ダイエー(現ソフトバンク)と渡り歩き、92年6月30日に金銭トレードでヤクルトに入団した。その年の10月29日に現役を引退したため担当した期間はわずかだったが、大洋在籍時代はよく対戦チームの先発投手として、そのピッチングを目の当たりにしてきた。

 現役最後の勝ち星、NPB116勝目は92年8月16日の古巣・巨人戦だった。5回0/3を投げて2失点の好投を演じ、この時点で巨人の自力Vを消滅させた。試合後、新浦にこのことを質問すると「今回、ぶざまなピッチングしかできなかったら“ユニホームを脱いでもいい”という気持ちでマウンドに上がった。巨人の自力V消滅?それはマスコミの人が勝手に騒いでいるだけ」と取り合わなかった。そのコメントも当時書いた原稿には入れた。

 新浦ほど当時の監督に育てられた選手は少ないかもしれない。長嶋茂雄巨人終身名誉監督が、巨人の監督に就任し、屈辱の最下位となった75年シーズンのことである。先発と救援の両方で起用されたが、失敗の連続。「ノミの心臓」とやゆされ、2勝11敗と結果がでなかった。当時、私は高校生で何度か後楽園球場の巨人戦に足を運んだが「ピッチャー・新浦」のコールがあると球場内はやじとため息に包まれたものである。

 ところが、この長嶋監督の我慢の起用が奏功し、翌76年から4年連続2桁勝利を挙げるなど左のエースに成長。78年などは15勝7敗15セーブで、防御率2・81。2年連続となる最優秀防御率のタイトルと最優秀救援投手にも輝き、球界を代表するサウスポーになった。

 NPB在籍19年、KBO在籍3年の計22年もプロ野球選手としてプレーできたのは、75年の屈辱の経験があってこそだろう。

 残り試合を考えれば、佐藤輝がシーズン当初のような活躍をするのは難しいかもしれない。だが、あの本塁打の飛距離は天性のものである。矢野監督の我慢の起用に応え、来季はさらなる飛躍を遂げてほしい、と願っている=敬称略=(デイリースポーツ・今野良彦)

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