【野球】86年広島優勝当夜 ミスター赤ヘルとのビールかけ
セ、パ両リーグともペナント争いの最終局面を迎えている。優勝チームの祝勝会での定番となっていたビールかけ。昨今、コロナ禍の影響で中止となっているが、この季節になるとビールかけの思い出がよみがえってくる。
プロ野球の担当記者時代には、いろいろ貴重な体験をさせてもらった。その中で思い出深い出来事のひとつが1986年10月12日、広島が神宮球場でのヤクルト戦に8-3で勝ち、2年ぶり5度目のリーグ優勝を決めた当夜、祝勝会会場でのビールかけである。
ナイトゲームが終わり約1時間後、広島ナインが宿泊する都内のホテルでの出来事だ。プロ野球の恒例ともいえる儀式の会場として用意されたのは、宴会場とそこから続くプールサイドだった。
ユニホーム姿で登場した阿南準郎監督のあいさつもそこそこに祝勝会がスタートした。私は当時、一張羅のスーツを着て宴会場の隅で取材していたが突然、何人かの選手に頭からビールを浴びせかけられた。ここまではよくテレビ中継でみかける、各局のアナウンサーたちが受ける“洗礼”と同じだった。
ところが、それで終わらなかった。確か故津田恒実だったと思う。「(山本)浩二さんが呼んでるよ」とプールサイドまで連れて行かれたのだ。そこでミスター赤ヘルこと山本浩二は喜びを爆発させていた。このシーズン限りで引退することが決まっていただけに、無理もないだろう。
「浩二さん、なんですか?」。こう話しながら近づいた瞬間だった。「おう、今野か。よく来たな。お疲れ」と抱きつかれ、頭からビールを浴びせかけられたのだ。そのとき、なぜか私も手にビール瓶を持っていた。
相手はプロ野球界の大スターである。普段の取材では、もちろん節度を持って話を聞いていた。ところが、自分が優勝したわけではないのに、なぜかテンションはマックスだった。私も「ありがとうございます」といいながら、調子に乗り頭からビールをかけてしまったのだ。まさに、天下のミスター赤ヘルとマンツーマンでビールかけをしたのである。今考えると大それたことをしたものである。
だが、会社に祝勝会の原稿を送り終えた直後、われに返った。着替えを用意しておらず、一張羅のスーツはビショビショの上、ビールの臭いが染みついていた。その日は、目黒にある実家に戻る予定だったが、その姿ではタクシーにも電車には乗れない。途方に暮れ、歩いて帰ろうとする私に救いの手をさしのべてくれたのが、同学年で普段から仲の良かった川端順、田中和博のふたりだった。
マネジャーに許可を取って自分たちの部屋に連れて行ってくれ、シャワーを浴びさせてくれただけではない。自分たちの私服のTシャツやジャージーまで貸してくれたのである。さらに、フロントに電話して大きなビニール袋まで調達してくれた。私はその袋に自分の服を入れて、なんとかタクシーで実家にたどり着くことができた。
確か、その日のスーツはクリーニングに出したが臭いが消えず、結局は捨てた。だが、その日の思い出は今もなくなることなく、私の中で生きている。=敬称略=(デイリースポーツ・今野良彦)