【野球】教員改革が叫ばれる中、ベテラン高校野球指導者が退任 失われてほしくない先生たちの情熱
高校野球で40年近くにわたって指導に当たった佐賀・北陵高校の吉丸信監督(66)が、先月30日に退任した。教諭として公立校を渡り歩き、唐津西、佐賀東を計3度の甲子園へ導き、広島・末永真史(現スカウト)、西武・山田遥楓らプロ野球選手も輩出。2020年には高校野球の選手育成と発展に尽くした指導者に贈られる日本高野連の「育成功労賞」にも選ばれた。
定年後に赴任した北陵高では、弱小と呼ばれたチームを初の九州大会出場へと導くなど、昭和から平成、そして令和と時代が移り変わる中でも卓越した指導力を発揮。退任の日には教え子で09年に伊万里農林(現伊万里実業)を初の甲子園へ導いた大坪慎一監督から「人生が変わるような出会いができたことで、僕は幸せです。先生の背中を追ってこの道で頑張りたいと思います」と涙ながらに花束を手渡された。
人生が変わるような出会い-。記者も高校時代に指導を受けた1人だが、今思えばここまでの情熱を持って接してくれた人はいなかった。野球の技術&知識だけでなく、「社会人になって苦労しないように」とあいさつの仕方などの礼儀、常識、人と接する際のマナーなど、色んなことをたたき込まれた。
入院した時には何度も病院に足を運んでもらい「本を読め。時間を無駄にするな」と言われた。勉強で大学に進学すると決めた時は、福岡県の予備校の先生に頼み込み、特別に授業時間を設定してもらったことを覚えている。
毎日、チームの練習に顔を出し、週末となれば遠方への練習試合で早朝からマイクロバスのハンドルを握る。「成功したいなら成功するだけの努力をしなさい」。高校時代にその姿を目の当たりにし、口酸っぱく言われたこの言葉があったからこそ今があると断言できる。
アマチュア野球担当を務めた際、名門校だけに限らず、高校野球の指導者は総じて恩師と同様に「情熱」がすごかった。すべては生徒のために-。その一心で指導法を懸命に模索し、悩み抜く監督もいた。教員の働き方改革などが提唱されるようになった令和の時代。昔とは違い、インターネット上で簡単に色んな野球理論、トレーニング理論にアクセスできるようになった。技術レベルは間違いなく、上がってきているように感じる。
その一方で球児たちの“心”の部分はどうか。野球を通じた教育という理念を持つのであれば、やはり指導者の存在を抜きにしては語れない。きちんと世の中のルールを守った上で、どう生徒たちに接していくか。一生懸命指導してもらった経験があるからこそ、例え難しい時代になったとしても、「情熱」だけは失われてほしくないと感じる。(デイリースポーツ野球デスク・重松健三)