【野球】もし広島カープ新OB会長・大野の不惑でメジャー挑戦が実現していたら
来年1月から広島のOB会長に就任する大野豊(66)の不惑でのメジャー挑戦がみたかった。いったい、どんな結果を残しただろうか。
4日、広島市内で行われたOB会総会で、現会長の安仁屋宗八(77)が退任し、来年1月から大野の新会長就任が承認された。このニュースを聞き、脳裏によみがえってきたのが、大野のMLB挑戦話だった。話が具体化する前に立ち消えになったが、発端は数年前に亡くなった、横浜で渉外担当・スカウト、理事などを歴任した牛込惟浩さんのひと言だった。
私が広島、阪神、日本ハム、ヤクルト担当をへて横浜(現DeNA)の担当記者になったのは1995年のことだった。当時、試合前の練習に姿を現した牛込さんと、よく雑談をしていた。
外国人選手に興味があった私は、当時在籍していたロバート・ローズ、グレン・ブラッグスだけでなく、かつてプレーしていた故クリート・ボイヤー、ジョン・シピン、フェリックス・ミヤーン、カルロス・ポンセなどの獲得裏話を教えてもらっていた。
とある日、日本選手でメジャーに通用するのは誰だ-という話題になった。95年といえば、野茂英雄がドジャースに入団した1年目。「ドクターK」のニックネームで、野茂旋風を巻き起こしていたシーズンだった。
海外FA権やポスティングも整備されておらず、今と違ってメジャー挑戦が簡単ではなかった時代だけに、興味津々だった。そのとき牛込さんの口からでたのは「広島の大野なら今すぐメジャーで通用する」と、予想もしていない名前だっだ。
広島担当時代、大野とは親しくさせてもらっていた。オフにトレーニングしているジムで、単独取材に応じてもらったこともある。思い入れがある選手で、私が直接取材したことのあるピッチャーではNo.1だと思っていた。
だが、彼は1955年8月生まれで、当時40歳。フィジカル面で通用するのか-というのが正直な感想だった。牛込さんに「確か40歳ですけど…」というと、「サウスポーだし2、3年なら絶対に通用する。一度、聞いてみてくれ。そのつもりがあるなら、俺がアメリカの球団と話をする」とお願いされてしまった。
そこで、大野にその話をぶつけにいったが、答えは「NO」。「いくつだと思ってんの。40だよ。40」と一蹴されてしまった。だが、その後、何度も牛込さんから「もったいない」と言われ、二度、三度、話をしにいったが、答えは同じだった。
大野は43歳までプレーし、通算148勝138セーブの記録を残し引退した。だが、引退の前年は23試合に先発し、135回・2/3を投げて9勝6敗、防御率は2・85と好成績を残している。そう思うと不惑でメジャーのマウンドでも通用した気がする。=敬称略=(デイリースポーツ・今野良彦)