【スポーツ】1月1日を前に思う 99年天皇杯で優勝した今はなき横浜フリューゲルスのこと
1999年1月1日、彼らが流した涙を私は忘れない。彼らとはサッカー天皇杯で優勝した横浜フリューゲルスイレブンのことである。
2022年の1月1日は少し寂しい思いをしそうだ。なぜなら、毎年恒例となっていた、元日に行われるはずのサッカーの天皇杯決勝戦が12月19日に、浦和レッズの劇的な勝利で終了しているからだ。
来年はFIFAワールドカップ(W杯)カタール2022大会が行われるW杯イヤー。日本にとって出場権のかかるアジア最終予選の中国戦が22年1月27日に、またサウジアラビア戦が2月1日に埼玉スタジアムで実施される。そのため、天皇杯の決勝戦が前倒しになったのだが、元日決戦といえば、1999年の横浜フリューゲルス-清水エスパルスが思い出されてならない。
この日、私はサッカー担当として旧国立競技場の取材現場にいた。この年の10月、フリューゲルスの出資会社のひとつだった佐藤工業がクラブ運営から撤退を表明し、もうひとつの出資会社ANAも単独での運営が難しいことから横浜マリノスとの合併が決定。フリューゲルスはマリノスに吸収合併されることになり事実上、クラブが消滅することになった。
合併発表後の初試合となった10月31日のセレッソ大阪戦を7-0と大勝した試合後、サポーターが横浜国際競技場前の広場に座り込みクラブフロントとの話し合いを要求。取材していた私も終電を逃し、始発で自宅に戻ったことを覚えている。
この試合以降、フリューゲルスは怒濤(どとう)の快進撃を続けた。11月3日のサンフレッチェ広島戦(広島)、7日のアビスパ福岡戦(三ツ沢)、14日のコンサドーレ札幌戦(札幌厚別)を3連勝し、最後のリーグ戦を終えた。
だが、これは序章にすぎなかった。負ければその時点でチームは終わる。そんなプレッシャーをはね返した。12月13日の第78回天皇杯3回戦から順調に勝ち進み、23日にはジュビロ磐田を27日には鹿島アントラーズを破って決勝に進出した。
決勝では相手に先制を許したが、前半のラストプレーで追いつき、後半28分に吉田孝行のゴールで勝ち越し。そのまま5大会ぶり2度目の優勝をもぎ取った。国立競技場は5万人を超すサポーターで一杯になり、そのスタンドで巻き起こった歓声、拍手はいつまでも鳴りやまず、「死ぬまで忘れない」などと書かれた横断幕が揺れた。
普段は修道僧のように柔和なゲルト・エンゲルス監督が残した言葉も印象的だった。「優勝したのに残念。どこの国に一番強いクラブがなくなるなんてことがあるんだ」-と。
フリューゲルスは99年2月1日にマリノスと正式合併して消滅した。だが、“魂”は受け継がれ、マリノスがチーム名をフリューゲルス由来の「F」を加え「F・マリノス」と改称し、今に至っている。=敬称略=(デイリースポーツ・今野良彦)