【野球】カープを常勝軍団に育てた古葉竹識さんの「気遣い」が自慢の3ショット写真を生んだ
今年も各分野で著名人がこの世を去った。人それぞれ亡くなった方への思いもあるだろう。私は11月12日に亡くなった古葉竹識さんの逝去に衝撃を受けた。85歳でこの世を去ったが、広島の監督として4度のリーグ優勝、3度の日本一と輝かしい功績を残した。
古葉さんの逝去が明らかになり、著名な球界関係者、そして先輩記者たちが古葉さんとの数々のエピソードを新聞やネットで披露していた。
会社に入って通算6年も広島に赴任していたとはいえ、古葉さんとの接点が3度しかなかった筆者の出番はなかった。しかし、3度しか取材をしていないからこそ古葉さんとのことはしっかり覚えている。
最初は2003年の広島市長選に出馬したときだ。選挙事務所に話を聞きに行くと、“古葉スマイル”で出迎えてくれ、両手で手を握ってくれた。ユニホームを着ているときは鉄拳制裁も辞さぬ厳しさがあったと聞いていたが、そんなものは一切ない。優しい笑顔が忘れられない。
2度目はカープが25年ぶりの優勝が確実となった2016年8月の終わり。優勝特集号へ掲載した安仁屋宗八さんとの対談で進行役を務めさせてもらった。「電車で来たよ」と東京ドーム近くのホテルまでご足労いただいた。
ランチをしながらの安仁屋さんとの対談は、初優勝の話はもちろん、常勝チームを築いていく過程や選手としてカープに入団した経緯、広島退団の理由など特集号に収まりきれないほどの話をうかがうことができた。今でも2時間を超える音源は自宅のパソコンに入っている。
そして最後は2016年12月の広島カープOB会だった。久々の優勝ということもあり古葉さんをはじめ山本浩二さんら豪華メンバーがそろっていた。例年なら現役監督をはじめ首脳陣も出席する同会だが、この年は優勝旅行と重なったため2軍首脳陣のみで取材陣は地元紙記者と筆者のみだった。
安仁屋OB会長のあいさつが済むと乾杯では古葉さんが指名された。あいさつが済むと「(山本)浩二、上がってこい」と手招きするとともに安仁屋OB会長も呼び寄せ壇上で3人の乾杯で場を盛り上げた。
古葉さんの写真を狙っていたが、山本さん、安仁屋さんとの豪華スリーショットをカメラに収めることができた。3人とも優勝を喜んでいい顔をしている。この写真が撮れたのも後輩ではあるが、ミスター赤ヘルやOB会長に気遣いをする古葉さんだったからだ。
ユニホームを着れば厳しい顔を見せたそうだが、ユニホームを脱ぐと選手やコーチへの配慮があった。だからこそ“古葉ファミリー”という言葉が生まれ、常勝軍団を築くことができたのだろう。
閉会後は安仁屋OB会長らとともに2次会、3次会に出席した古葉さん。筆者もなぜか参加させてもらい3次会のカラオケでは、古葉さんの美声を聞くこともできた。
最後は昔の仲間たちと「それ行けカープ」を大合唱。古葉さんの厳しさを知っている先輩記者には足元にも及ばないが、カープを常勝軍団に築いた古葉さんの「気遣い」に触れ合うことができた。
あれから5年。天に召されたが、スマホに残っているマイクを握っている古葉さんの写真を宝物にしたい。(デイリースポーツ・岩本 隆)