【野球】日本ハム・新庄剛志監督 現役時代の懐かしい“事件”“珍言”振り返る
日本ハム・新庄剛志監督の注目度はとどまるところを知らない。現役時代から奇想天外な言動で、社会現象も巻き起こした。現役時代のオモシロ語録と“事件”やパフォーマンスを、日米球界成績とともに振り返る。
▽90年 入団1年目は1軍出場なし。
▽91年 9月10日の巨人戦(東京ドーム)、代打で1軍デビュー。1安打1打点。
▽92年 5月26日の大洋戦、中村勝広監督に抜てきされ故障のオマリーに代わりスタメン。第1打席初球をプロ初本塁打。亀山努とともに「亀新フィーバー」を起こす。チームは2位の好成績を収めた。
▽93年 背番号「5」に変更。ベストナイン、ゴールデングラブ初受賞。
▽94年 セ・リーグ最多得票(43万4906票)で球宴初出場。
▽95年 2軍の練習に遅刻し、当時の藤田平2軍監督から鳴尾浜のグラウンドで正座を命ぜられた。シーズンは87試合で7本塁打と不振。オフに会見を開き「センスがないから野球をやめます」と発言。周囲から説得され2日後に撤回。
▽97年 シーズン中の甲子園で始まった応援ボイコットが球宴第1戦でも続いた。スタンドに「そんな成績で出場するな 恥を知れ」の横断幕も。1月、阪神ファンが集まった「選手激励の夕べ」に、髪を緑に染めて登場。「ガイジンになりたいんです」の迷セリフを残す。
▽99年 野村克也監督の下、厳しくも愛情ある指導で育てられる。6月12日の巨人戦で“敬遠球打ち”のサヨナラ打。春季キャンプとオープン戦で投手との二刀流挑戦も。
▽00年 シーズン28本塁打をマーク。4番として100試合に出場し15盗塁。球宴では1シリーズ3試合連続安打。オフにメジャー最低年俸の20万ドル(約2200万円)でメッツ移籍。
▽01~03年 01年のメジャー1年目から活躍。02年はジャイアンツに移籍し、日本人初満塁弾、ワールドシリーズの日本人初安打もマーク。03年は再びメッツに戻った。「クラッチ・ヒッター」(勝負強い打者)と評された。03年11月の映画イベントで「長崎に生まれ、福岡に育ち、大阪、ニューヨーク、サンフランシスコ、ニューヨークときて…今度は北海道に住みます!」と正式発表前日にフライングで日本球界復帰宣言。
▽04年 日本ハム移籍。ゴレンジャーなどのかぶり物でファンの心をわしづかみ。球宴史上初の本盗を決めMVPに輝いた。生涯最高打率・298をマーク。
▽05年 5月31日、巨人戦(札幌ドーム)の試合前のシートノックに、顔が小さな顔にかみついている特殊メークアートのかぶり物で登場。人気は継続したが右手の負傷もあり、108試合出場、打率・239にとどまった。
▽06年 4月18日、オリックス戦で2号本塁打を放ち、お立ち台で「ヒーローインタビューの舞台でみんなに報告があります。今シーズン限りでユニホームを脱ぐことに決めました!」と引退発表。
〈年度別成績〉
年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率
91 阪神 13 17 2 0 1 0 3 .118
92 阪神 95 353 98 11 46 5 73 .278
93 阪神 102 408 105 23 62 13 91 .257
94 阪神 122 466 117 17 68 7 93 .251
95 阪神 87 311 70 7 37 6 76 .225
96 阪神 113 408 97 19 66 2 106 .238
97 阪神 136 482 112 20 68 8 120 .232
98 阪神 132 414 92 6 27 1 65 .222
99 阪神 123 471 120 14 58 8 72 .255
00 阪神 131 511 142 28 85 15 93 .278
04 日本ハム 123 504 150 24 79 1 58 .298
05 日本ハム 108 380 91 20 57 5 64 .239
06 日本ハム 126 438 113 16 62 2 76 .258
日本通算 1411 5163 1309 205 716 73 990 .254
01 メッツ 123 400 107 10 56 4 70 .268
02 ジャイアンツ 118 362 86 9 37 5 46 .238
03 メッツ 62 114 22 1 7 0 12 .193
メジャー通算 303 876 215 20 100 128 .245
(デイリースポーツ記録室)