【野球】球界に続々「◯◯のドカベン」列伝 水島新司さんが与えた影響の大きさ
漫画家の水島新司氏が10日に肺炎のため82歳で亡くなった。「ドカベン」「あぶさん」「野球狂の詩」など個性的な野球漫画を残し、その作品に影響を受けた少年少女は数多くいた。
野球界には浪商高校から南海、ダイエーとプロでも人気を誇った香川伸行さんをはじめ、「ドカベン」キャラの選手が次々と登場。水島さんの描いた“気は優しくて力持ち”なスラッガー「山田太郎」が、老若男女を問わず人気だったことを物語っている。過去に「◯◯のドカベン」と名付けられた懐かしい選手たちを振り返ってみた。
▽“本家”ドカベンキャラ 南海、ダイエー・香川伸行捕手
浪商(現・大体大浪商)時代は牛島和彦とバッテリーを組み、甲子園に春夏3回出場。79年選抜で準優勝。同年夏も出場し3試合連続本塁打を放つなどの活躍で4強。この年は春夏計5本塁打を記録し「ドカベン」の愛称でも親しまれた。79年度ドラフト2位で南海(現ソフトバンク)入団。プロ初出場の80年7月8日・近鉄戦(日生)で初打席初本塁打。ベストナイン(83年)。89年の現役引退後は野球解説や硬式野球クラブの指導者、少年野球大会も主催するなど球界と関わり続けた。
▽勇者のドカベン 阪急・西口順一内野手
1987年11月にテストを受け、阿部企業からドラフト外で入団。88年1月の自主トレで130キロの体重を113キロに絞ろうと四苦八苦。前年の秋季キャンプで右足首をねんざし“食っちゃ寝生活”を余儀なくされ、23歳で通風を発症した。“パワーはブーマー級”と称されたが、1軍出場なしに終わった。
▽九州のドカベン ダイエー・山之内健一内野手
福岡第一時代の88年夏に甲子園準優勝。89年、ドラフト5位でダイエー入団。体重103・4キロで突入したキャンプ初日、ランニングメニューで足がもつれてけいれんを起こす。「九州のバース」とも称される。90年に1軍で7試合出場も無安打に終わる。
▽明訓の4番キャッチャー、まさにドカベン 新潟明訓・西野雄二捕手
捕手で4番、高校も「明訓」とぴったり。体つきは身長183センチ、体重80キロと均整の取れたタイプで91年夏、93年夏の甲子園に出場。
▽伊予のドカベン 松山商・今井康剛内野手
95年夏、96年春夏の甲子園に出場。主将を務めた96年夏は全国制覇。「奇跡のバックホーム」の名場面とともに印象を残した強打者。高校通算75本塁打で、卒業後は明大に進学。
▽岡山のドカベン 岡山理大付・森田和也捕手
身長177センチ、体重107キロの巨漢で人気を呼び、チームも99年夏の甲子園準優勝。3回戦の水戸商戦で140メートル弾を放った。
▽虎のドカベン 阪神・広神聖哉捕手
11年育成ドラフト1位でBCリーグ群馬から入団。山田太郎と同じ175センチ、85キロのガッシリ体形で右投げ左打ち、血液型も同じO型。福井・三国球場で右翼席後方の湖に打ち込む特大の140メートル弾を放った実績から“虎のドカベン”と期待されたが、1軍出場なし。(デイリースポーツ記録室)