【野球】去就が決まらない陽岱鋼の姿に“強行突破”で米大リーグに挑戦した投手を思う

 西武時代の前田勝宏=1993年
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 いまだ去就が決まらない元巨人の陽岱鋼(35)の姿に、かつて“強行突破”でMLB入りした投手を思い出した。カッツ前田こと元西武の前田勝宏である。

 17日に35回目の誕生日を迎えた陽だが、巨人に自由契約を申し出て退団して以来、中ぶらりんの状態が続いている。彼は台湾プロ野球を経由せず、日本のプロ野球でプレーをしてきた。そのため、生まれ故郷である台湾プロ野球でプレーする場合にはドラフトを経る必要がある。すんなりとはいかないだろう。

 そんな状況に、ひとりの野球選手のことが頭に浮かんできた。前田は95年年末に行われた契約更改交渉の席上で突然、MLB挑戦を直訴して騒動となった選手である。

 彼は92年にドラフト2位で、プリンスホテルから西武に入団した「幻の100マイル投手」といわれた逸材だった。だが、西武在籍3年間で登板はわずか25試合。0勝2敗、防御率4・89という成績しか残していなかった。

 当時、日本のプロ野球では93年オフにフリーエージェント(FA)制度が導入されたばかり。現在のように、FA権を持たない選手が海外リーグへの移籍を希望した場合に、所属球団が行使する権利であるポスティング制度もなかった。前田がMLBに移籍するには球団の同意が必要不可欠だったが、西武としては前田を戦力として考えており、手放す考えはなかった。

 私は96年1月に巨人担当から西武担当に異動。シーズン開幕直前までその騒動に巻き込まれ、前田を取材するようになった。本人から電話番号を教えてもらい、何度も電話で取材した記憶がある。

 彼は球団の動向を知りたがっていたが、それ以上に聞きたがったのは、MLBの話だった。私もツテを頼り、日本在住のMLB極東スカウトからの情報を教えたこともあった。

 また、私は私でかつて日本プロ野球でプレーし、その当時、米本国の球団で仕事をしていた外国人選手に直接電話をし、前田に興味を示しているチームがあるのか-を取材していた。

 最終的に、当時のオーナー・堤義明の「行かせてあげれば」という“天の声”で、ヤンキースに入団し、マイナーリーグからメジャー昇格を目指した。だが、在籍期間5年で一度もメジャーでプレーすることなく、その後、台湾、イタリア、中国でプレーし、アマチュアや独立リーグなどでプレーし現役生活を終えた。

 陽は昨季、巨人で7試合に出場しただけ。1安打、打率・143に終わったが、NPBで通算1164安打、ゴールデングラブ賞に4度輝いた実績がある。まだまだ環境が変われば一花もふた花も咲かせられる。このまま終わらせてあげたくない選手である。=敬称略=(デイリースポーツ・今野良彦)

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