【野球】日本ハム・新庄監督も球史に名を残すか 歴代背番号「1」監督は名将ズラリ
日本ハム・新庄剛志監督が21日に札幌市内で行われた新ユニホーム発表会に登場し、背番号「1」を披露した。過去の背番号「1」を振り返ると、南海・鶴岡一人監督、阪神・吉田義男監督、巨人・王貞治監督ら球史に名を残した人物が名を連ねる。
▽阪神・吉田監督
初めて監督を務めた第1期(75~77年)の背番号が「1」。監督では異例のことだった。第1期監督時代の成績は以下の通り。
75年 130試合68勝55敗7分 3位
76年 130試合72勝45敗13分 2位
77年 130試合55勝63敗12分 4位
85~87年の第2期では背番号「81」。85年に21年ぶりのリーグ優勝と初の日本一。86年の3位を挟み、87年は最下位に転落。同年退任後に現役時代の「23」が永久欠番に認定された。3度目の就任となった97~98年は「83」を背負った。当時は新庄が阪神に在籍しており、新旧背番号「1」監督がともに戦っていたことになる。
▽巨人・王監督
現役時代の背番号「1」を助監督時代からそのまま着け、84~88年の5年間は監督として指揮を執った。巨人監督時代の成績は以下の通り。
84年 130試合67勝54敗9分 3位
85年 130試合61勝60敗9分 3位
86年 130試合75勝48敗7分 2位
87年 130試合76勝43敗11分 リーグ優勝
88年 130試合68勝59敗3分 2位
ダイエー~ソフトバンクでも監督を務め、14年間でリーグ優勝4度、日本一2度と常勝チームを築いた。06年には第1回WBCの優勝監督に(この時は背番号「89」)。国民栄誉賞第1号。巨人の背番号「1」は永久欠番となっている。
▽南海・鶴岡監督
歴代最多の1773勝を挙げた名将。球団名がグレートリングだった46年に選手兼任監督で背番号「1」を着けて指揮。105試合65勝38敗2分で優勝した。「グラウンドに銭が落ちている」の名言で選手の向上心をあおり、人間味あふれる性格と厳格な野球への取り組みで「親分」と称された。59、64年に日本一になるなどチームを常勝軍団に育て上げた。
▽中日・濃人渉(貴実)監督
中日、東京、ロッテを指揮した。中日監督時代の61~62年に背番号「1」を背負った。61年は72勝56敗2分で2位、62年は70勝60敗3分で3位。ロッテでは70年にリーグ制覇した。
▽オリックス・テリー・コリンズ監督
就任1年目の07年は144試合62勝77敗5分で最下位、2年目の08年も序盤から振るわず、シーズン途中の5月に辞意を表明した。この年は49試合で21勝28敗。低迷する中で情熱を失ったことを理由に挙げた。在任中は美魔女タレント・シルクとの交際でも話題になった。大石大二郎監督代行に交代し、チームの最終順位は2位。
▽南海・岩本義行監督
40年に南海入団、42年にシーズン途中の7月21日から9月27日まで、選手兼任監督を務めた。23試合で9勝14敗で最下位。打者としてはバットを胸の前に立てて構えるところから「神主打法」の異名を取った強打者で、51年に1試合4本塁打。東映時代の57年には45歳5カ月で本塁打を放ち、これがNPB最年長記録。
▽大洋・有馬義一監督 51年、中島治康監督の後を受け、シーズン途中の7月18日から終了まで監督に就任。指揮を執った61試合で21勝38敗2分。チームは40勝64敗4分で最下位だった。
▽大洋・小西得郎監督
52年大洋、53年洋松で監督を務めた。52年は120試合で58勝62敗の4位。53年は130試合で52勝77敗1分で5位だった。
今季、14年ぶりに背番号「1」監督となった新庄監督は、就任当初から固定観念にとらわれない発言やファッションで話題の的だ。日本ハムでの現役時代に着けた背番号「1」で新たな伝説を作るのか、注目したい。(デイリースポーツ記録室)