【野球】阪神育成の変則左腕・渡辺雄大は第2の角盈男に変貌しろ!
阪神の育成選手、変則左腕の渡辺雄大(30)は、第2の角盈男に変貌を遂げてほしい。
育成選手として唯一、宜野座1軍キャンプに参加している渡辺雄大に注目している。左ヒジの靱帯(じんたい)損傷などがあり、昨年10月18日にそれまで所属していたソフトバンクから戦力外通告を受けたがその後、阪神と育成選手としての契約を結んだ。
今後は支配下登録選手を目指すが、左のサイドスローから繰り出す140キロを超すストレートと大きく曲がるスライダーは、左の好打者が多いセ・リーグでは大きな戦力になる可能性を秘めていると思う。
左の変則投手として、私の記憶に残っているのが巨人、日本ハム、ヤクルトで15年間プレーした角盈男である。
1978年に新人王を獲得したが、翌年にコントロールを重視するためサイドスローに転向。その独特のフォームで長くセットアッパー、ストッパー、ワンポイントとして活躍した。現在、軽妙なトークでタレントとして活躍している人物である。
当初、巨人でプレーする姿を、対戦チームの担当記者としてみていた。だが91年、私は日本ハムを担当することになり、角を取材することになった。とにかく、角の言動に驚かされたのは一度や二度ではない。
1番驚いたのは、遠征時の服装だった。どの球団でも選手は大抵、スーツにネクタイ姿で移動する。球団によってはスーツが支給されるため、監督、コーチ、選手などが同じ姿で飛行機や新幹線に乗り込む。
ところがある夏の日、アロハシャツにパナマ帽、サングラス姿で遠征先のホテルに到着したことがあった。私が「角さん、夏ですね~」とからかい半分に質問すると「いいんだよ。ちゃんと投げれば」と、新庄剛志ビッグボスのような返答が戻ってきた、と記憶している。
よく雑談に応じてもらったが、何かしらの縁があったのだろう。私は翌年、ヤクルト担当へ異動となった。ところが、なんと角も彼も日本ハムから移籍することになり、2年続けて担当記者として取材することになったのだ。
日本ハム担当を離れる際、新橋で送別会を開いてくれたが、翌春のヤクルトの宮崎・西都キャンプで早くも「再開を祝して」と会が催されることになったから、妙な気分だった。このとき、巨人と他球団の違いなどを教えてもらった。そのときの話がその後、巨人担当になった際にどれだけ役に立ったか、分からない。
角は、ヤクルトに移籍した92年のオフに、通算38勝60敗99セーブという記録を残して引退した。だが、この年は2勝4敗5セーブ、防御率3・20でヤクルトの優勝に貢献しただけに、翌年もプレーし通算100セーブを達成してほしかった気がする。
渡辺はプロ通算9試合に登板し0勝0敗1ホールド、防御率3・18の成績しか残していないが、まだ30歳になったばかり。変則左腕の先輩・角を超える可能性はまだまだ残っている。=敬称略=(デイリースポーツ・今野良彦)