【野球】オリエント・エクスプレス郭泰源が開幕前に達成した東京ドーム初の“大記録”
読者のみなさんは、オリエント・エクスプレス、郭泰源が開幕前に達成した東京ドーム初の“大記録”を知っているだろうか。
3月25日のプロ野球開幕に向けて、12球団ともにオープン戦で選手の調整具合のチェック、新戦力のテストなどに余念がない。開幕前のオープン戦、練習試合と公式戦の成績は必ずしも直結しないが、時にはとてつもない、公式戦さながらの“大記録”に遭遇することがある。
その一つが、1988年の開幕前に実施された「サッポロビール プロ野球トーナメント大会」準決勝の西武-広島戦だった。
それまで巨人の本拠地として使用されていた後楽園球場の横に、日本初の全天候多目的スタジアムとして「東京ドーム」が完成。開幕戦として4月8日の巨人-ヤクルト戦が組まれていた。それに先駆けてセ・パ12球団が参加してのトーナメントが実施されることになった。
私は広島担当としてその大会を取材していた。広島は3月29日の1回戦で大洋(現DeNA)の2-0で勝利。4月3日の準決勝で西武と対戦したのだが、相手が悪かった。西武の先発は台湾出身の郭泰源。「オリエント・エクスプレス」の愛称で、当時黄金期と言われた西武投手陣でも一、二を争う選手だった。
160キロ近いストレートと高速スライダー、シュートを駆使する郭に山崎隆造、正田耕三、高橋慶彦のスイッチトリオを擁する広島打線も手も足も出なかった。6四死球を選ぶのがやっと。127球を投げた郭にノーノー(ノーヒットノーラン)を許してしまった。郭は公式戦である85年6月4日の日本ハム戦(平和台)でもノーノーを達成しており、ある意味2度目の快挙だった。
公式戦ではないが、開幕を控えさすがに広島ナインもショックを隠さなかった。首位打者にも輝いた経験がある正田は「五回までノーヒットだったので、バントヒットでも塁に出ようとしたんだが…」といえば、小早川毅彦なども「打てそうな気がしたんですが」と悔しさをあらわにしたことを覚えている。
その後、ヤクルトや巨人担当として、日本シリーズで登板する郭の雄姿を見た。そして、96年には西武を担当することになり、郭を取材することになったのだが、残念ながら全盛時を過ぎていたと思う。この年、14試合(先発では11試合)に登板したが0勝6敗、防御率7・39に終わり、私も彼の活躍を原稿にするチャンスは巡ってこなかった。
公式戦での巨人・槙原寛己の完全試合や西武・渡辺久信のノーノーを原稿にした経験もあるが、シーズン前の快投もそれはそれで脳裏に焼き付いている。=敬称略=(デイリースポーツ・今野良彦)