【野球】甲子園初戦終えて1本塁打 金属バット導入後最少、コロナ影響も?
第94回選抜高校野球は優勝候補の大阪桐蔭が24日の大会第6日第1試合に登場し、出場校32校すべてが初戦を終えた。
ここまで本塁打は第1日第1試合で浦和学院・高山維月捕手(3年)が大分舞鶴戦で記録した1本のみ。甲子園で金属バットが導入されたのは1974年夏だが、それ以降のセンバツ初戦終了時点で最少本塁打だ。
すべてのチームが登場した段階での最少本塁打は、記録が残る1970年以降では74年の0本。74年は大会を通じても2回戦で日大三・豊田誠佑が放った1本だけだった。
次いで70年、71年(いずれも総数4本)、73年と今大会の1本。続くのは72年の2本。3本が76年、82年、96年、97年、03年、21年となっている。
03年と21年はいずれも大会総数も9本塁打と一桁にとどまった。04~19年までは20本前後で二桁台をキープしており、19年は大会総数19本。新型コロナウイルス感染拡大の影響で選抜大会が中止された20年を境目に激減したことになる。
増減の歴史をみると、91年は18本塁打だったが同年オフに甲子園球場のラッキーゾーンが撤去され、92年は7本に減った例がある。
甲子園球場は今オフにリニューアルされたが、グラウンドの広さは変わらない。ボールやバットの規格も大きな変更はない。この2年間、コロナ禍で対外試合を組みにくかったことが、打撃の調整に影響した可能性も考えられるかもしれない。(デイリースポーツ記録室)