【野球】「人間ミスはするわ」誤審で言葉をかけてくれた虎戦士 元審判員が明かす選手との関係
スポーツの試合進行に欠かせない審判員の存在。プロ野球の世界では監督と審判、選手と審判の間でピリピリとした空気が流れる時もあれば、何か雑談をしているような光景も見られる。
18年までNPB審判員を務めた坂井遼太郎さんは「若い審判員には、投手交代の時に投手コーチが『あと3イニング、頑張れよ』なんて声をかけてくれる時もある」と明かす。こうしたちょっとしたコミュニケーションは、審判にとっても大事なことだという。
坂井さんは先輩の谷博審判員などから、監督の人間性や性格を知ることも必要だと学んだ。「(抗議の際)言わせるだけ言わせる場合、ルールをガチンと伝えたほうがいい場合、時には笑い話にしたほうがいい場合。対応は十人十色。自分にあったものは何だろうと。ちょっとした間で言葉を交わしたり、あの監督、どういう監督なんだろうということを知ることも大事ですね」。真剣勝負の場でお互いにエキサイトすることはあるが、こうした積み重ねがいざという時に生きてくる。
「審判は円滑に試合を進めることが仕事なので。なんでもかんでも退場することが仕事じゃないので。退場を出すほうがしんどいんです」
一線は引いているものの、選手の言葉で気持ちが軽くなることもあった。プロ4年目の1軍デビュー戦、京セラドームで阪神・金本の天井に直撃した打球をファウルと判定。当時のルールではインプレーだったことから試合が混乱する騒動となった。
真弓監督が抗議しているさなか、坂井さんのもとに近づいてきたのは、キャンプやオープン戦でコミュニケーションをかわしていたという城島。「僕の後ろに来て、けつをたたいて、『こんなミスいくらでもあるから気にするな。人間やってるからミスはいくらでもするわ』と言って。ぼそぼそと『切り替えていけよ』とネクストに戻っていった」。
坂井さんにとって苦いデビュー戦となり精神的にダメージを受けたが、後日、阪神のファームの試合では監督や選手から声をかけられたという。「平田監督は、ミスしたことに触れず『坂井ちゃん1軍デビューしてるやんけ』と。当時、狩野選手も(ネットで)たたかれていたので、トイレが一緒になったとき、『坂井、分かるぞ俺も気持ちが』とか」。
城島については後の引退試合で偶然、球審となったことも印象的な出来事で、「『最後の試合おまえで良かった』と言ってくれたのは嬉しかった」という。プロ野球審判員を辞めた今も、こうした言葉は胸に残る。
毅然とした態度でジャッジを下し、誤解や批判を受けることも多い審判員。今年4月にロッテ・佐々木朗と白井審判員の騒動が起きた際、パドレス・ダルビッシュは「審判はみなさんが思っている何万倍も難しいです」と訴え、審判員へのリスペクトの欠如を感じていることを伝えた。
「ダルビッシュさん、あの方はやっぱり視点が広い。ああいう視点はありがたいというより、よく理解してくれているなと思います」と坂井さん。対立構造を作られやすい監督や選手、審判との関係。ただ、その根底ではプロ野球界を盛り上げる“仲間意識”で結ばれている。(デイリースポーツ・佐藤啓)
◆坂井 遼太郎(さかい りょうたろう)1985年5月4日、大阪府出身。高校時代は金光大阪の野球部に在籍。卒業後、審判の勉強の為に渡米し、帰国後、2007年からセ・リーグの審判員となった。18年まで在籍12年間で1軍では350試合に出場。17年に球宴出場。現在は全国の大学野球を配信する会社「ULALA」を起業するなど、多方面で活躍。