【野球】ヤクルト・内川の日本プロ野球引退に、名選手の引き際に思いをはせる

 ヤクルト・内川聖一(40)のNPB(日本野球機構)引退に、名選手の引き際について考えてみた。

 ヤクルトの内川がいわゆる日本プロ野球から引退するという。横浜(現DeNA)、ソフトバンク、ヤクルトの3球団を渡り歩き通算2185安打。史上2人目のセ、パ両リーグで首位打者を獲得した、球界を代表する右打者もさすがに衰えは隠せない。

 プロ野球選手はチームが戦力として必要とされなくなった場合、ユニホームを脱がなくてはいけない。2010年オフにFA移籍したソフトバンクでも20年オフに「戦力として必要とされなくなった」と判断。自ら球団に退団を申し出てヤクルトに入団した経緯がある。それだけに、現在自分の置かれている立場は痛感しているだろう。

 40歳という年齢を考えればこのまま現役を引退。解説者として、ネット裏から野球を勉強するか、指導者としての道を歩むのが普通だ。だが、内川は「40歳で野球をやってるのはすごく楽しいし、面白い。この気持ちを持ったまま終わりたくない」と話しており、海外や独立リーグに挑戦することを視野に入れといるという。

 確かに、故野村克也氏のように、ボロボロになりながら「生涯一捕手」を貫き、南海、ロッテ、西武とチームを渡り歩き、45歳まで現役にこだわった人もいる。また、余力を残しながらユニホームを脱いだ名選手も多い。王貞治氏(現ソフトバンク会長)=(82)=は30本塁打した1980年に引退。私が広島担当時代に取材していたミスター赤ヘル・山本浩二氏(75)も27本塁打を放ち、リーグ優勝に貢献した86年を最後にバットを置いた。

 どちらが正解ということはない。ただ、今後の野球人生を考えれば一度日本プロ野球以外の野球を経験するのは決してマイナスにはならない。特に将来、指導者としてプロ野球に携わる可能性があるならなおさらだ。

 チーム29年ぶりのリーグ連覇を果たした高津臣吾監督(53)は03年オフにFA権を行使してMLBに挑戦。その後、再びヤクルトでプレーしたが07年オフに自由契約となり以降、MLBのマイナーリーグ、韓国プロ野球のウリ・ヒーローズ、台湾プロ野球の興農ブルズ、独立リーグ新潟アルビレックスBCを渡り歩いた。恩師である故野村克也氏の教えに加え、さまざまな場所での野球を経験したことが、指導者として大きなプラスになっていることは間違いない。

 また、担当記者としてノーノーの原稿を書いたことがある西武・辺久信GM(57)も西武退団後はヤクルトを経て台湾リーグで投手兼コーチとして活躍。経験を無駄にすることなく、西武の監督としてチームを日本一に導いている。

 チームはクライマックスシリーズ・ファイナルステージ、その先に連覇を狙う日本シリーズもある。内川の今後の進路が決まるにはまだ時間がかかるだろう。ただ、ボロボロになるまでプレーしたからといって、決して晩節を汚したことにはならない。(デイリースポーツ・今野良彦)

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