【野球】阪神ファンも真っ青!岡田監督の猛虎愛「一卵性父子」の亡き父から受け継いだDNA

 阪神・岡田彰布新監督(64)は甲子園での秋季練習を終え、来季の「アレ」に向け高知・安芸での秋季キャンプに臨む。10月16日の就任会見で「最後はタイガースのためにユニホームを着ようかなという気持ちになった」と阪神愛を語ったが、体内には虎党顔負けの猛虎愛があふれている。

 熱烈な阪神ファンも真っ青になるほどの猛虎愛は、単にタイガースOBだからではない。父から受け継いだDNA。1986年9月に55歳の若さで亡くなった父・勇郎さんの影響が大きい。

 かつて、母・サカヨさんは「2人は一卵性父子。何をするのもどこへ行くのも2人。わたしは仕事があったので、2人だけの世界でした」と嫉妬まじりに父子の絆を語ったことがある。岡田監督は子どものころから阪神ファンとして英才教育を受けた。

 勇郎さんは、知人を通じて藤本勝巳の後援者となった。1960年に本塁打王、打点王の2冠を獲得した阪神の主力打者。藤本を通じて他の阪神の選手とも親しくなった。

 岡田親子は甲子園での応援はもちろん、当時は球場近くにあった虎風荘にも遊びに行った。小学生だった岡田監督は、選手の布団で昼寝をし、屋上でバットを振ったこともある。大阪・玉造の実家近くの公園では名三塁手・三宅秀史とキャッチボールをしたことは今でも記憶に残っている。「指が短いからピッチャーはできない。野手の方がいいよ」とアドバイスも受けた。

 スタンドでは宿敵・巨人の主力打者だった長嶋茂雄や王貞治に痛烈なやじを飛ばした。どこにでもいる熱心な阪神ファンの野球少年。それが明星中、北陽、早大で技術を高め1979年度ドラフト会議で6球団競合しながら運命に導かれるように阪神に入団した。

 その後は周知の通り。三宅の背番号16を受け継ぎ、阪神の主力選手に成長。1985年に5番打者として日本一に貢献し、2005年には優勝監督にもなった。

 そして今オフ再び縦じまのユニホームに袖を通した。「年齢的にも長くできないと思いますけど、最後はタイガースのためにね」-。誰よりもタイガースを愛してきた岡田監督は、勝利を重ね阪神ファンを熱狂させるだろう。(デイリースポーツ・岩本 隆)

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