【スポーツ】礼儀欠く15歳下を鉄拳制裁で教育、不屈のボクサー大沢の生き様詰まった引退試合

 波乱のボクサー人生を歩んだ元東洋太平洋フェザー級王者の大沢宏晋(ひろしげ、37)=オール=らしいラストファイトだった。6日、エディオンアリーナ大阪で開催された「3150FIGHT vol.4」で樋口和輝(22)=ARITOMI=と5ラウンドの引退試合。最後の晴れ姿を見てもらう“花相撲”と思いきや、怒りの“制裁”がリング上で繰り広げられた。

 15歳下の樋口から試合前に「最後に若いボクサーの前で派手に散るのもいいんじゃないっすか」などと挑発された。試合を盛り上げるための演出もあっただろうが、18年のキャリアに幕を引く先輩への態度にしては少しやり過ぎ。序盤から大沢を本気にさせた。

 1回、樋口の猛攻を受けたが、紙一重の防御で致命傷は食らわない。コーナーを背負いながら、怒りをうちに秘め、左カウンター一閃(いっせん)。ダウンを奪うと、続けざまに左のストレートを顔面に打ち込み、2度目のダウンを奪った。

 2回にも左の一撃で相手をド派手に転がした。その後も突っかかる相手を鮮やかにコントロールして、的確なパンチを見舞う。攻守に技術が違い過ぎた。

 3度のダウンを奪い、判定3-0の圧勝。試合後のリングでひざを付き、情けなさで号泣する樋口に大沢は歩み寄り、肩を抱き、声をかけた。試合も試合後も、まさに“大人と子供”だった。

 「大沢の壁が高いと思わせる試合ができた。20歳を越えた大人なら礼儀なり、リスペクトの気持ちを持って話したらいい。怒りはあったけどリングの上で礼儀なり、いろんな教育ができた」と拳で“人の道”を伝えた。

 苦労人の拳は樋口にはさぞ重かったことだろう。大沢は“介護士ボクサー”としても知られ、ファイトマネーを福祉施設に寄付。2012年には介護施設を自ら設立した。一方で選手としては山あり谷ありだった。

 2004年デビュー。11年に東洋太平洋王座を獲得。順風なキャリアは12年12月に暗転する。韓国で行ったWBOアジア太平洋暫定王座の防衛戦が当時、同タイトルを認定していなかったJBC(日本ボクシングコミッション)に「ノンタイトル」と虚偽報告されて行われたと判明。ジムに処分が下され、大沢も東洋太平洋王座のはく奪に加え、1年間のボクサーライセンス停止となった。

 当時27歳。ボクサー本人に対する罰則としては重かった。それでも、大沢は折れなかった。1年ぶりに復帰後、うっ憤を晴らすように快進撃した。

 7連続KO勝利で16年4月にはWBOアジアパシフィックフェザー級王座を獲得。同年11月に米ラスベガスで初の世界挑戦が実現した。結果はWBO世界王者オスカル・バルデス(メキシコ)に7回TKO負けしたものの、日本選手にとっては快挙と言える“聖地”でのマッチだった。

 大沢はあの華やかな大舞台に舞い戻る夢を追い続けた。新型コロナウイルスの影響がなければ2度目の世界戦チャンスが巡ってもいいランキングにも入っていた。悔いがないと言えばうそになるが、引き際だった。昨年夏には左目に「外傷性白内障」を患い、4割ほどしか見えない状態。「(世界王者になる)夢を追っかけていく中で夢はかなうことはなかった。体はいけるけど気持ちがついてこない」とグローブをつるす決断をした。

 試合直後のリングでの引退式に愛する妻と息子をリングに呼んだ。デビューした場所でテンカウントゴングが鳴らされた。「この10年間、嫁さんと出会って、自分の人生の大半をボクシングに費やした。本当に嫁さんに申し訳なかった。コロナで試合ができない中、子供も授かった。いつも自分勝手にしているけど嫁さんは背中を押してくれて感謝している」と男泣きした。

 大星、ロマンサ雅(のちロマンサ)、オールと3ジムを渡り歩いた。多くの後輩らが人柄を慕う。アマチュアエリートが席巻する最近のボクシング界の中、魅力的な4回戦からのたたき上げ。不屈の“雑草魂”を持つ男だった。(デイリースポーツ・荒木 司)

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