【野球】高校球界の名物監督が九州独立リーグのコーチに 神前俊彦氏「私は野球難民」
京都共栄学園野球部前監督の神前俊彦さん(66)が、今季から九州独立リーグ(ヤマエグループ九州アジアリーグ)に参戦する宮崎サンシャインズのチームアドバイザーとして活動を開始した。無名の大阪・春日丘を甲子園出場に導いた名物監督はプロ野球界に身を転じ、「生涯野球人」を貫こうとしている。
自らを「野球難民」と呼ぶ。野球がやれるならどこへでも行くし、野球が観られるなら何でもする。野球、野球、野球。「野球がすべて」の神前さんがたどり着いた先は九州。プロ野球の独立リーグ、宮崎サンシャインズだった。
1月14日、神戸からフェリーで宮崎へ。愛車の軽四を相棒に新しい野球人生がスタートした。
「ワクワクとドキドキ。期待と不安が同居してるね」
好きな野球の語呂合わせで用意された背番号「89」(やきゅう)のユニホーム。高校野球の監督に背番号がないことを思うと違和感はあるが、神前さんはこう言って覚悟を示す。
「経歴の断捨離が必要。高校野球の監督というのは過去の話ですから。高校野球では…甲子園では…という“出羽守(ではのかみ)”ではだめ。終わりがあって始まりがあるように、まずは過去との決別。私はそう考えてます」
今年8月末、6年半にわたって指導してきた京都共栄高校の野球部監督を退任。このタイミングで監督業にひと区切りをつけ、9月に福井県の永平寺を訪れた。すると、こんな“教え”が目に飛び込んできた。
【人生に定年はない 老後も余生もないのです…人生の現役とは自らの人生を悔いなく生き切る人のことです】
「私が来るのを待っているかのような言葉でした」
10月には宮崎へ行き、プロ野球フェニックスリーグのアルバイトをした。「1度でいいから経験してみたかった」からだ。ボール拾いやバット引き。ファウルボールには笛を吹いて危険を知らせ、BSOのランプをともす、いわゆるボールボーイだ。
この何人もいるアルバイトの中に、自分よりも年長者がいるのには驚いた。ベンチ前での「72歳のジジイですが、一生懸命頑張ります!」という挨拶に選手から大きな拍手が起きた。
聞けば会社役員の経験者で、もう12年のキャリアになるという。その人も同じように新たな「始まり」を見つけたかったのだろうか。
フェニックスリーグが終わったあとはソフトバンクの秋季キャンプに参加した。都合1カ月半。日給の仕事は久しぶりだった。新鮮で面白かったし、何より勉強になった。
しばらくすると、顔見知りのソフトバンクスカウト担当者から「神前さんじゃないですか」と声をかけられたが、「バイトだよ」と笑顔で返した。
「ただのおっちゃんになる。これは腹をくくらなできません」
人生に転機や縁が生まれるのは、腹をくくって“次の一歩”を踏み出したときかもしれない。
宮崎滞在中、テレビニュースで新球団の活動情報を知った神前さんは「これや!」と直感。あとは標的に向かって突進するだけだった。
その後、現地在住で旧知の野球関係者を中心に“球友の輪”が広がり、サンシャインズのトライアウト採用担当の依頼が届き、さらにコーチ就任にまで話は膨らんでいったという。
「“何か始めるためには、しゃべるのをやめて行動し始めなければならない”というウォルト・ディズニーの名言があるけど、あれはホンマやね」
確かにそうだ。「死ぬまで挑戦」を座右の銘にする神前さんならではの行動力だ。
かつて高校球界の先輩から、こんな言葉をかけられたのを思い出した。
「神前君な。人間、60歳過ぎると、教育と教養やで」
よくよく聞くと、今日行く(きょういく)ところと、今日用(きょうよう)事があることが大事だということだった。
そのときは笑いながら聞いていたが、「毎日、目の前のことに夢中になれるんやから、こんなありがたいことはない」と話す。
トライアアウトで入団した選手は投手15人、捕手4人、野手11人の計30人。この陣容で3月18日の開幕から9月24日の最終戦まで78試合を戦う。サンシャインズの監督は元広島投手で地元出身の金丸将也氏。
選手の力は大学以上で、社会人と張り合えるかどうかのレベルだという。光る選手とそうでない選手との違いは「連続性があるかどうか」とも。その中から何人NPBへ送り込めるか。
「生涯野球人であることを貫くためには何でもやる」
そう思って足を踏み入れた宮崎から持ち帰ったのがプロのコーチという仕事だ。
「私は大阪出身。しかし、神前という名のとおり“神話の国”の宮崎で、新しい神話を作るよう導かれたんやと勝手に思ってます。選手に寄り添うコーチとして、NPBに認められる光る選手を育てたいし、チームを勝たせたい」
66歳にしてアマからプロへの転身。1月26日、宮崎市内で開かれた新球団の記者会見にはコーチングスタッフとして神前さんも出席し、決意を新たにした。
しかし、高校野球を捨ててはいない。過去とは訣別するが、新たな未来は創りたい。春日丘で甲子園出場を果たしたときは出場校の中で最年少監督だった。今度は最年長監督で-。
「アマとしての時計は止めたままにして。それまではコーチ留学と思って精いっぱいチームに尽くしたい」
独立リーグでの役目を終えたら再び「野球難民」に戻り、夢を追いかけるという。(デイリースポーツ・宮田匡二)
◆九州アジアリーグ 火の国サラマンダーズ(熊本)、大分B-リングス、北九州下関フェニックス(福岡)と新しく加盟した宮崎サンシャインズの4球団で構成され、リーグ戦はソフトバンクの3、4軍を加えた6チームで試合を組む。熊本は元ソフトバンクの馬原孝浩氏、福岡はロッテなどに在籍した西岡剛氏が監督を務め、大分には前ヤクルトの内川聖一選手が加入した。