【野球】筋骨隆々の元広島「代打の切り札」は今 野球少女に熱視線 浅井さんが女子野球に力を入れる2つの理由

 広島で長年、代打の切り札として活躍した浅井樹さん(51)は今、女子野球の普及に力を注いでいる。

 昨年6月に広島県女子中学生軟式野球選抜チーム・オール広島ガールズの監督に就任した浅井さんは、このほど兵庫・西宮市で開催された小学校女子選手による第5回N-PRIDE CUP“W”の会場にいた。

 広島OBで球団から派遣の桑原樹監督が率いる小学生選抜チーム・ガールズ広島の選手や保護者とともに4時間かけて広島からバスでかけつけた。

 試合中はベンチで少女たちに声をかけ桑原監督をサポートした。

 選抜チームの選考会も桑原監督とともに選手の能力をチェックした。

 「あの子に一目ぼれしていたんです」

 初戦の最終回無死一塁から右前打の間に三塁を陥れた小学6年生の能力にうなずいた。

 試合後には少女の保護者のもとに行き、中学でも野球を続けることを確認。オール広島ガールズを説明し、“スカウト活動”に余念がない。

 「今回はサポート役。中学選抜の監督なので中学生になっても野球をやってもらえるように子どもたちに野球の楽しさを感じてもらえたらと思って」

 男子と違って女子は年齢が進むにつれ野球離れが顕著となる。

 「同じように汗まみれになって体を動かすんだったら野球を続けてもらいたい」

 他競技への流失阻止に懸命だ。

 2020年に広島県内の廿日市市と三次市が女子野球連盟から「女子野球タウン」と認定されたことをきっかけにカープ球団が支援に動いた。

 プロ球界では西武、阪神などが女子野球に新規参入している。カープは女子チームを持つのではなく、野球の底辺拡大の一環として、小中学校の選抜チームに遠征の交通費を提供するなど金銭的な援助はもちろん、浅井さんらを女子野球の指導者として派遣した。

 一昨年4月には浅井さんが広島県・中四国女子野球アンバサダーに就任。昨年6月には中学選抜チームの監督となった。

 選手時代は筋骨隆々の体で野村、緒方、金本、江藤、前田らの主力の陰で1990年代から2000年代前半に、代打の切り札、スーパーサブとして存在感を示した。

 現役時代、スタメンから外れても「控え」とは考えていなかった。

 「レギュラーで出られる力がないと代打も務まらない」

 チーム事情からスタメン出場は少なかったが、常にレギュラー選手に劣らない実力を誇示していた。

 その結果が通算代打安打セ・リーグ歴代3位の154本、通算代打打率は同2位の・315だ。

 晩年はメニエール病を患い06年限りで16年の現役生活に別れを告げた。

 引退後は2軍打撃コーチを皮切りに1軍打撃コーチ、3軍統括コーチを務め、19年オフにフロント入り。

 20年から編成部に籍を置きながら、ベースボールクリニックコーチとして球団初の専属指導者となった。

 1年目の20年はコロナ禍の影響で満足に活動ができなかった。21年には小中学生を対象に「カープ浅井打撃塾」をマツダスタジアムに隣接する室内練習場で開校。昨年からは桑原さんも加わり2人で子どもたちを指導してきた。

 野球少年の指導に加え2軍戦の解説。そして女子野球の指導に携わっている。

 昨年8月に行われた第7回全日本中学女子軟式野球大会で初采配を振るうはずだったが、新型コロナウイルスに感染したため無念の欠場となった。

 初戦の相手は、出身地である富山県代表チームだった。

 「選手たちに申し訳ないし、僕が一番楽しみにしていたかもしれない」

 監督不在のチームは初戦で敗れたが、全国大会に備え練習をしてきた選手に思い入れもある。

 「みんなにユニホーム型のキーホルダーをプレゼントした」

 ポケットマネーで記念品を贈った。

 「3年生の9人中8人が高校でも野球を続けてくれるんです」

 うれしそうに“教え子”の進路を話す。今でも選抜チームの練習で顔を合わすことがあるという。

 昨年はクラブチームの選手が中心だったが、今後は中学校体育連盟の女子部員も巻き込んで選抜チームを盛り上げていくつもりでいる。

 「立ち上げから携わっているんで、この女子野球をなんとか成功させたい。それに今(カープの)ユニホームを着ている選手やコーチのセカンドライフのポストにもなる」

 女子野球普及とともに後輩たちのセカンドライフも考えている。現役時代はスーパーサブとして輝いたが、今も輝きを失っていない。(デイリースポーツ・岩本 隆)

 ◆浅井樹(あさい・いつき) 1971年12月14日生まれ。富山市出身。現役時代は左投げ左打ちの外野手。富山商時代は2年と3年の夏に甲子園出場。89年度ドラフト6位で広島に入団。4年目の93年にプロ初出場し、95年に1軍に定着した。レギュラーの座はつかめなかったが、左の強打者として、右の町田公二郎とともに「スーパーサブ」と呼ばれた。代打でも勝負強さを発揮し、通算代打安打はセ・リーグ歴代3位の154本、通算代打打率は同2位の・315。06年限りで引退し、07年から19年までコーチを務める。通算成績は1070試合出場、525安打、52本塁打、259打点、打率・285。

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