【野球】ア軍・藤浪の悪戦苦闘ぶりに 改めてパイオニア・野茂英雄氏の功績がよみがえる
アスレチックス・藤浪晋太郎(29)のメジャー悪戦苦闘で、改めてパイオニア・野茂英雄氏(54)の偉大さをクローズアップしたい。
藤浪は日本時間23日、敵地アーリントンのレンジャーズ戦で今季4度目となる先発登板を果たした。だが、3回途中4四死球7安打8失点でKO。開幕4連敗で防御率も14・40となった。このままなら先発ローテーション継続に黄色信号どころか赤信号がともるのも時間の問題だ。最速100マイル(約161キロ)を超すストレートと落ちるボールを持ちながら突如としてコントロールを乱す“悪癖”の修正をしない限り、メジャーでプレーする時間はそう長くは残されていないだろう。
だが、ある意味、藤浪は恵まれた環境の下でプレーしている。阪神からポスティング移籍を容認してもらい、年俸325万ドル(約4億3000万円)プラス出来高払いのメジャー契約でアスレチックスへの移籍が実現したからだ。
そう考えると、メジャーでの日本人選手が活躍する場を切り開いたパイオニア・野茂英雄氏の苦労は並大抵ではなかったと思う。過去、メジャーでプレーした選手は、南海(現ソフトバンク)から野球留学という形でプレーしたマッシーこと村上雅則氏(78)がいるが、本格参戦したのは野茂氏が最初といっていい。
野茂氏は89年のドラフト1位で近鉄(現オリックス)に入団。トルネード投法と呼ばれる独特の投球フォームで4年連続最多勝と最多奪三振タイトルを獲得するなど当時の日本球界では最高の投手と呼ばれていた。だが、球団側とのトラブルもあり紆余(うよ)曲折の末、1995年2月13日にマイナー契約でドジャース入りしている。
その際の契約金は200万ドルで、年俸は10万ドル。当時のレート換算で、それぞれ約1億7000万円、980万円だ。近鉄時代の年俸1億4000万円からは大幅ダウンとなったが、信念を貫きアメリカでプレーする道を選んだのだ。
5月2日のジャイアンツ戦で先発投手を務めメジャーリーグデビューを果たし、村上氏以来32シーズンぶり2人目の日本人メジャーリーガーとなった。6月2日のメッツ戦でメジャー初勝利を挙げるとその後は米本土を席巻した。オールスターゲームに初選出され、チームの7年ぶりの地区優勝に貢献し新人王も受賞。MLB在籍12年で123勝を挙げ、通算奪三振1918という輝かしい成績を残している。
ドラフトにかかる前の彼を取材したことがある。場所は当時、在籍していた新日本製鉄堺の自室だった。ジャージー姿で長々と取材に応じてくれ、最寄り駅まで乗る帰りのタクシーも呼んでくれた。タクシーに乗り込み、後ろを振り返ると、門の前で最後まで見送ってくれた姿を今も思い出す。
そんな律儀な性格の野茂氏が黙々と茨の道を歩み、切り開いたメジャーの扉だ。後に続くプレーヤーたちが閉めるようなことがあってはならない。藤浪のもその責任はある。(デイリースポーツ・今野良彦)