【野球】マスク越しに体感した精密機械の制球力と名球会投手のプライド
かつて広島のエースとして活躍した北別府学さんが亡くなった。訃報を聞き、20年以上前の思い出がよみがえった。マスク越しに見た光景は、今でも脳裏に焼き付いている。
1997年、広島の日南秋季キャンプ。チームの練習が早めに終わった日だったか、休日だったか…三塁ベンチから三村敏之監督(当時)がヤジを飛ばしながら見ていたことは覚えている。天福球場で広島担当記者と打撃投手、ブルペン捕手ら裏方さんとが草野球をすることになった。その担当記者チームの助っ人として、たまたまテレビ局の解説の仕事で日南を訪れていた北別府さんが加わってくださることになった。
相手の裏方さんチームは、ほとんどが元プロ野球選手。担当記者レベルの投手では抑えられない。現役引退からまだ3年という鯉の大エースに、恐れ多くも先発マウンドをお願いした。そして、マスクをかぶったのが私だった。
ボールは軟球。硬式野球経験者は慣れるまで扱いづらいとされているが、精密機械にそんなことは関係なかった。いつでも簡単にストライクが取れるのは当たり前。衝撃だったのは、外角低めの直球、スライダーとも、ストライクゾーンから自由自在にボール半分の出し入れを繰り返したこと。ボールゾーンへ半分外れた球は、やはり打たれなかった。
ただ…裏方さんチームもさすが元プロ。しかもふだんから草野球に慣れ親しんでいた。硬球に比べて軟球は球速が出づらいということもあったと思う。ストライクゾーンぎりぎりの球をことごとく打ち返してきた。制球が抜群だったからこそ、逆に決め打ちしやすかったのかもしれない。
ついには名球会投手がマウンド上で怒り出した。「なんで打たれるんじゃ!」。一瞬、凍り付きかけたが、北別府さんはすぐに笑顔で和ませた。周囲も笑いで包んだが、緊張感がさらに増したのは女房役の私。その後はスライダー、シュート以外にシンカーだったか、落ちるボールをノーサインで多投。真ん中付近のあまいコースは1球もなかった。その投球からは、名球会投手としてのプライドが伝わってきた。
プロテクターを装着していなかったことを後悔した。変化球が鋭く落ちて鋭く跳ね上がる。軟球とはいえ、ワンバウンドして空振りを奪った球を何度も体で止め続けるのは大変だった。その後1カ月ぐらい、胸のあたりが痛かった。
今から思えば、ありがたすぎる貴重な経験だった。野球取材をしていると「ボール半分の出し入れ」とはよく聞くが、アマチュアでは見たことのない、日本最高レベルを体感できたことは、記者として大きな財産となった。その後は投手の制球、配球により着目するようになり、捕手心理を想像し、野球を見る視界が広がっていったように思う。そして何より“勝てる投手”のスピリットを全身で知ることができた。
草野球が終わった後、北別府さんから「ありがとう」と言われた。疲れ切っていた私は何と答えたのかを覚えていない。改めてありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。(デイリースポーツ・岩田卓士)