【スポーツ】秋場所沸かせた熱海富士 恩師も衝撃受けた焼きそばパンの思い出「サクらしい」

 大相撲秋場所の台風の目となったのは、間違いなく21歳の新星・熱海富士(伊勢ケ浜)だろう。単独首位で迎えた千秋楽の本割で敗れ、11勝4敗で貴景勝との優勝決定戦に臨んだものの、はたき込みに屈して初優勝には届かず。それでも、最後まで優勝争いの主役を演じ切った。

 普段は穏やかでかわいらしい笑顔を見せ、土俵の上では真っ向勝負する姿にファンも増えたはず。関取が小学5年時から中学卒業時まで所属していた静岡県三島市の三島相撲連盟会長の杉山信二さん(60)が、少年時代の熱海富士を語ってくれた。

 ◇ ◇ ◇

 土俵の上でがむしゃらに戦う理由の一つは母のため。杉山さんは「お母さんを助けたい気持ちがあるわけ」と小学生時代からよく知る熱海富士を語る。女手一つで育ててくれた母の奈緒さんへの親孝行の思いもあってか、熱海中卒業時には中卒での角界入りを口にしていたという。

 だが、母の「高校だけは行かせたい」という希望もあって、沼津市の飛龍高校に進学することになった。杉山さんは熱海富士を高校入学時から約半年もの間、自身の経営する三島市の飲食店「光玉母食堂 めし しんちゃん」に下宿させた。実家の熱海市から沼津市の学校に通学する大変さや、当時仕事で多忙だった奈緒さんを思いやってのことだった。

 ただ飯ぐらいだったわけではない。相撲部の練習から帰宅した19、20時以降は食堂のアルバイトをしていた。主な仕事は皿洗いなどの簡単な手伝い。当時の仕事ぶりに「あの子頭いいんだよ。見て覚えるっていうか」と振り返る。唐揚げの注文が入ると、作り方を教えていないにもかかわらず、気を利かせて調理していたという。21歳の若さで場所を盛り上げた成長の早さが、土俵以外でも表れていたかもしれない。

 寝食をともにしたことで、プライベートな一面も知った。杉山さんは熱海富士の人となりを「悪く言えば横柄、良く言えば寛大」と評する。

 下宿から離れ、すでに実家通いになっていた年末のことだった。食堂のおかみの美香さんが大掃除で、熱海富士が使っていた布団を押し入れから出そうとしたところ、中から食べかけの焼きそばパンが出てきた。美香さんは「サク~(本名『朔太郎』からの愛称)!」といないはずの熱海富士を怒鳴って呼んだ。杉山さんは「夜食だったのかな。なんじゃこりゃってなったけど、バイト代がサクらしい食費に使われてたみたいで安心したかな」と笑う。

 思い出話の記憶が鮮明の内に、瞬く間に関取になった。だが、杉山さんはつい最近にも熱海富士をしかったことがある。7月末の沼津巡業で、地元に帰ったときに三島相撲連盟時代の恩師・栗原幸喜さんへのあいさつを電話で済ましたから。勝つことは大事だが、周囲への感謝もおろそかにしてほしくない。「初心を忘れるな」と親心満載のエールを送った。(デイリースポーツ・中谷大志)

 ◆熱海富士朔太郎(あたみふじ・さくたろう)本名武井朔太郎。2002年9月3日、静岡県熱海市出身。小6から相撲を始め、熱海中3年時に全国大会個人8強。飛龍高1年時に高校総体団体3位、2年時に東海大会個人優勝。2020年11月場所で初土俵を踏んだ。186センチ、181キロ。得意は右四つ、寄り。好きな食べ物は寿司、カレー。趣味は音楽やYouTube鑑賞。愛称はサク。家族は母、妹。

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