【競馬】デビュー22年目にしてG1初制覇を果たした黒岩悠ジョッキー 諦め切れなかった騎手としての自分

 今年4月に中山競馬場で行われた中山グランドジャンプで、イロゴトシ(牡6歳、栗東・牧田)とコンビを組み、デビュー22年目にして初のG1タイトルをつかみ取った黒岩悠騎手(39)=栗東・フリー。JRA通算73勝。これまで歩んできた道は決して順風満帆と言えるものではなかった。

 中学生までは野球少年だった。いずれは野球選手になりたいと心に決めていたが、なかなか身長が伸びず断念することに。明確な将来を思い描けずにいた中学2年生の時に、騎手という可能性に出会った。「馬に乗れたらかっこいいなって。募集要項に体重43キロ以下とあったから、決心してからはとにかく体重制限に必死でした。給食を抜くこともあったなあ。父が調理師だったから、食事の面ではとても助けてもらいました」。弱冠15歳で覚悟を決めた息子の夢を父は全力で応援したという。

 2002年に栗東・吉岡八郎厩舎からデビュー。1年目こそ2勝に終わったが、2年目には17勝。着実に力をつけ、3年目はさらなるステップアップに闘志を燃やしていたが…落馬による骨盤骨折はその矢先の出来事だった。

 「死にたい気持ちになりました」。当時の心境をこう振り返る。「バキバキに折れていたから、血はしきりに出て痛いし、折れている部分が炎症を起こして38度くらいの熱がずっと続いていました。ベッドの上で固定されて寝たきりで、最初の1カ月間は意識がもうろうとしていました」。病院のベッドで絶望を味わうこととなった。主治医から伝えられた“もしかしたら今後歩けないかもしれない”という言葉が頭をグルグル回る。「自分がこれからどうなるかも分からない状況のなか、同期たちがこれまで自分が乗せていただいていた馬に乗って、勝利を挙げている様子を見て本当に悔しかった」。

 「これは余談ですが…」と続ける。「ちょうどその年に、競馬学校時代の同期だった竹本貴志が2年遅れでデビューしたんです。騎手免許試験をケガで受けられなかったりということもあり、やっと迎えた念願のデビュー。けど…」。黒岩騎手の目が少し赤く染まる。2004年3月28日の中山4Rで、障害レースに騎乗した竹本騎手は障害飛越の際、つまずいて落馬。頭を強く打ち、帰らぬ人となってしまった。「教官が容体を逐一報告してくれていたけど、本当に精神的につらかった」。自分の未来が明確に見えない時に、戦友の死を耳にした黒岩騎手の痛みは計り知れない。その後半年間の入院、リハビリ生活を終え、何とかレースへの復帰を果たす。

 しかし、1年後に再び落馬により骨折。再度復帰した時には減量特典はなくなっており、乗り鞍は激減した。「あの頃はふてくされていたなぁ。ケガばっかりで馬にも乗れず、なんで自分はこんなに運が悪いんやって。けど、そんなの今思えば甘えでしかなかった。ケガをしてる人なんて何人もいるし、そこからはい上がってきた人だって。何もしてこなかった自分が120%悪かった」と当時の自分を見つめ直す。

 それでも“騎手”としての自分に向き合い続けてこられたのは、「騎手でいたい」という少しの意地。そして「人の支え」があったからだという。「坂口正則先生を始め、清水久詞先生、牧田和弥先生、他にもたくさんの人たちが、ダメダメだった20代の自分のことも面倒を見てくれました。辞めてもおかしくなかったような自分を、騎手でいさせてくれました。坂口先生がいなければ今の自分はいない」と感謝を口にする。

 これまでの競馬人生を「巡り合わせの連続」と表現した。15年から調教にまたがることになった清水久厩舎の鹿毛の馬は、のちのG1・7勝馬キタサンブラックだった。「いい経験になった。あれほどの馬に乗らせてもらったという経験はやっぱり引き出しを増やせた。だけど、たくさんの人から取材を受けていても、自分はブラックの“調教をしている人”としての立ち位置。“騎手”としての自分を取材してもらえるようにならないと」。名馬との出会いは騎手としての自分を奮起させるものだった。

 そしてチャンスは突然訪れた。昨年7月の新潟ジャンプSをホッコーメヴィウス(セン7歳、栗東・清水久)で制し、この勝利を含め同馬と重賞3勝を積み上げた。「もともと難波(剛健)騎手が調教に乗っていたのですが、西浦厩舎から清水久厩舎へ転厩するタイミングで乗せていただくことに。黒岩になら任せても、って難波さんが指名してくれました。技術面、メンタル面においてたくさん勉強させてもらって、自分の中で得られるものがめちゃくちゃ大きかったです。勝つイメージができるようになったのもメヴィウスのおかげ」。これまでの“失敗してはいけない”というネガティブな減点思考から、解放された瞬間だった。

 イロゴトシと挑んだ中山グランドジャンプは、2着に3秒1差をつける圧勝劇で、自身初となるJG1制覇を飾ってみせた。騎手の道を諦め切れずもがき続けた22年。巡り巡った縁がイロゴトシと黒岩騎手を惹き合わせてくれた。レース後の映像を見ていて強く印象に残ったシーンが。検量室へ戻ってきた黒岩騎手の元へ感極まった表情で駆け寄り、力強く肩をたたく武英智調教師の姿があった。「武英先生や牧田先生、本当にたくさんの人に愛されているなあと思いました。自分は恵まれていたんだ、ということに最近になってようやく気づけました」。騎手としてのプレッシャーはとてつもなく重い。そんななか、いつも自分を見てくれている、支えてくれている人がいる、ということほど心強いことはなかっただろう。牧田師は「真面目な人ですね。飲み込みも早いし。敵をつくらない」と彼の人柄を口にする。優しいまなざしから、深い信頼を感じた。

 さあ、今週の東京ハイジャンプ。イロゴトシとのコンビで2度目の重賞制覇を狙う。「春の王者として恥ずかしい競馬はできないし、暮れにつなげられるように」と気合は十分だ。

 好きな言葉は“人事天命”。「僕たち人間ができることはきっちり準備して、本番では難しく考えないように」。絶えず努力を続けてきた者にしか口にできない言葉だ。「重賞を勝った騎手だという肩書ができた以上、期待してくれている人のことは裏切れない。だから今の方がずっと崖っぷち。自分が上手だなんて思ったことは一度もないですし、思ったらそこで成長は終わってしまいますからね。これからも、もがいてもがいていくだけです」。どん底からはい上がってきた黒岩騎手の挑戦はこれからも続いていく。(デイリースポーツ・小田穂乃実)

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