【野球】今も耳に残る、1985年の桑田真澄氏、清原和博氏のKKドラフトで響き渡ったあの音

 今年はどんな音が響き渡るのか。今もあの音が耳に残っている。「読売。桑田真澄。投手。17歳。PL学園高校」-。そのアナウンスの直後に会場内に響き渡った、一斉にイスを引く音である。

 2023年度プロ野球(NPB)新人選手選択会議「プロ野球ドラフト会議 supported by リポビタンD」(ドラフト会議)が10月26日、都内で行われる。今回も高校生、大学生に逸材ぞろいだ。怪物スラッガー・花巻東の佐々木麟太郎は「プロ野球志望届」を提出しなかったが、高校生139人、大学生172人がプロ入りを希望しており、運命の日を待つことになる。

 長年ドラフト会議に取材に携わってきたが、鮮明に記憶している年がある。1985年の第21回ドラフト会議である。その年、ドラフト会議が行われたのは11月20日。会場は都内の「ホテルグランドパレス」だった。

 当時は携帯電話が普及しておらず、マスコミ各社は、ホテルの別室にその日1日だけ臨時電話(臨電)を設置し会社との連絡に当たっていた。FAXも15字×5行の原稿用紙を1枚ずつ送信するのがやっとで、即座に会社と連絡を取るには臨電が頼みの綱だった。どの社も臨電の前には現場で現場責任者としてプロ野球担当デスクが陣取っていた。

 会議場に入れるのは各社記者1名だけ。大半の記者は、別室に用意されたテレビで進行を見守るか、閉じられた会議場の扉に耳を付けて中をうかがっていた。会場内にいる記者は、会議中で起きた出来事を逐一、別室に座るデスクに報告すると同時に社に連絡をするために扉外の記者とバトンタッチ。臨電の敷いてある別室に駆け込むことが仕事だった。

 その年の最大の注目は、在学中に優勝2回、準優勝2回と甲子園を席巻したPL学園の清原和博氏、桑田真澄氏のKKコンビの動向だった。清原氏は早くからプロ入りを表明し、尊敬する王貞治監督(現ソフトバンク会長)が指揮する、巨人への入団を希望してた。一方、桑田氏は早稲田大学の入学特別選抜試験を受けることが決まっており、指名を模索していた球団は回避するものと思われていた。

 会場内にいた私も、巨人の1位指名は清原氏だと思っていた。ところがである。当時、パ・リーグの広報部長だった故伊東一雄さんが巨人の第1回指名選択選手として桑田氏の名前を読み上げたのだ。その瞬間だった。私を含め、会場内でドラフト会議の進行を見守っていた記者が、イスを引いてわれ先に会議場出口に向かって走り出した。

 別室まで全速力で走って現場デスクに報告しながらダイヤルを回し「巨人の1位は桑田です」と、口々に話す記者の誰もが息を切らし、顔を紅潮させたいたと思う。その後、何度もドラフト会議の取材に参加したが、会場のホテル内が短距離走のようになった記憶は、そのときが最初で最後だ。

 今年は阪神・岡田彰布監督のように1位に指名する選手名を非公表する人もいる。それだけに、どんなドラマが生まれるのか、楽しみである。(デイリースポーツ・今野良彦)

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