【野球】白熱の今日本シリーズで蘇る、ヤクルト・杉浦享氏の史上最高の代打サヨナラ満塁弾

 阪神-オリックスの「SMBC日本シリーズ」第5戦(2日・甲子園)は、森下翔太(23)の活躍などで阪神が快勝。3勝2敗とし、38年ぶり二度目の日本一に王手をかけた。

 初戦、第2戦はどちらかの一方的な展開となる、やや大味な試合内容となったが、第3、4戦は1点を争う白熱した試合だった。第4戦(甲子園)の九回1死満塁から飛び出した大山悠輔のサヨナラ打は、今シリーズの明暗を分ける一打になるかもしれない。

 頂点を争う試合ではときに信じられないような光景に遭遇する。プロ野球記者として広島を皮切りに阪神、日本ハム、ヤクルト、横浜(現DeNA)、巨人、西武と全7球団の取材に携わってきた。その中で数多くのサヨナラ劇を取材しているが、一番印象深いのが1992年の日本シリーズ、ヤクルト-西武の第1戦で飛び出した杉浦享氏の代打サヨナラ満塁本塁打だ。

 杉浦享という選手を覚えているだろうか。70年のドラフトで、愛知高から当時のヤクルトアトムズ(現スワローズ)に投手として10位指名されて入団。野手に転向後は外野手、一塁手として活躍し通算1434安打、224本塁打の記録を持っている名選手だ。

 長年、ヤクルトの中心選手として活躍を続けていたが、40歳となった92年シーズンはわずか18試合に出場し2安打。本人は限界を感じたのか、野村ヤクルト初の日本シリーズ出場を最後に引退すると表明していた。

 腰、左手首、右膝の状態が思わしくなく、シーズン中には入院して右ひじにたまった水を抜いていたという。まさに満身創痍(そうい)の状態で臨んだシリーズ初戦だったが「最後の姿をみせたかった」と、長男の優君を神宮球場に連れてきていた。最後の勇姿をみせたかたのだろう。

 花道を飾るためのシリーズ出場だったが、3-3で迎えた延長十二回裏1死満塁の場面で代打として登場。巨人でも活躍していた、ストッパー・鹿取義隆氏から日本シリーズ史上初の「代打サヨナラ満塁本塁打」を放ったのだ。今なお日本シリーズ史上最高の1発ともいわれる、伝説の本塁打だ。万歳をしたまま数秒間もホームベース上から動くことができなかった杉浦氏の姿に、神宮球場に詰めかけたファンの歓声、拍手がしばらくの間、鳴りやまなかったことを鮮明に記憶している。沈着冷静な故野村克也監督でさえ、試合後は顔を上気させ、杉浦を褒めたたえたほどである。

 結局、野村ヤクルトは3勝4敗で敗れ、この年は日本一に手が届かなかったが、この本塁打で終わるはずだった杉浦氏の野球人生の針が少し戻った。西武球場で行われた第3戦、4戦では指名打者で先発出場を果たし、十分に戦力になることをアピール。故野村監督の引き留めもあり引退を撤回し、翌年も現役を続行した。

 その年、ヤクルトの豪州への優勝旅行に同行取材した。町中で杉浦氏一家と遭遇した際「パパの原稿を大きく書いてくれてありがとう」と、お礼の言葉をいただいたことを覚えている。

 シリーズではときに、奇跡の一打が生まれても不思議ではない雰囲気がある。(デイリースポーツ・今野良彦)

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