【野球】過熱する山本由伸“獲得狂騒劇”に、改めて年俸980万円で海を渡った野茂英雄氏のパイオニア精神が蘇る

 オリックス・山本
 外野でキャッチボールする近鉄時代の野茂英雄氏(1994年4月撮影)
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 過熱するメジャーの山本由伸“獲得狂騒劇”に、改めて野茂英雄氏の偉大なパイオニア精神がよみがえる。

 現在の日本プロ野球界で最高の投手といわれる山本由伸が、ポスティングシステムを利用しての米球界挑戦に意欲を示している。一部の米メディアでは12年契約総額2億2500万ドル(約338億円)にも達する超大型契約になるとも報じられている。

 山本由伸の日本球界での実績、その能力の高さからすれば当然の金額かもしれない。だが、野茂英雄氏がいなければ道は開けていなかったと思う。日本人選手が米球界で活躍する場を切り開いた野茂英雄氏の苦労は並大抵ではなかったと思う。

 野茂氏以前にメジャーでプレーした選手には、南海(現ソフトバンク)から野球留学という形でSFジャイアンツに在籍し、アジア人初のメジャーリーガーになったマッシーこと村上雅則氏がいる。だが、村上氏はわずか2年で南海に呼び戻されており、米球界に本格参戦したのは野茂氏が最初といっていい。

 野茂氏は89年のドラフト1位で近鉄に入団した。体を大きくひねる、トルネード投法と呼ばれる独特の投球フォームで4年連続最多勝と最多奪三振タイトルを獲得するなどし、当時の日本球界では最高の投手と呼ばれていた。だが、所属球団側とのトラブルなどもあり紆余(うよ)曲折の末、1995年2月13日にマイナー契約で海を渡り、ドジャース入りした。その際の契約金は200万ドルで、年俸は10万ドル。当時のレートに換算して、それぞれ約1億7000万円、980万円だ。近鉄時代の推定年俸1億4000万円からは大幅ダウンとなったが、米球界でプレーしたいとの信念を貫きアメリカでプレーする道を選んだのだ。

 野茂氏は同年5月2日のジャイアンツ戦に先発投手としてメジャーリーグデビューを果たした。村上氏以来、実に32シーズンぶり2人目の日本人メジャーリーガーとなったのである。6月2日のメッツ戦でメジャー初勝利を挙げるとその後は米本土を席巻。オールスターゲームに初選出され、チームの7年ぶりの地区優勝に貢献し新人王も受賞した。MLB在籍12年で123勝を挙げ、通算奪三振1918という成績は、今も輝いている。

 1989年ドラフト会議直前に、彼を単独取材したことがある。場所は当時、在籍していた新日本製鉄堺の寮の自室だった。冗舌ではなかったが、ジャージー姿で嫌な顔ひとつせず長々とインタビューに応じてくれ、最寄り駅まで帰るタクシーも呼んでくれた。タクシーに乗り込み、後ろを振り返ると、門の前で最後まで見送ってくれた姿を今も思い出す。

 そんな律義な性格の野茂氏が黙々といばらの道を歩み、切り開いた扉だ。後に続くプレーヤーたちが閉めるようなことがあってはならない。山本由伸にもその道を引き次ぐ責任がある。(デイリースポーツ・今野良彦)

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