【スポーツ】年商40億の実業家がなぜBDに出場し続けるのか-萩原裕介インタビュー前編 朝倉未来の言葉に「俺また戦えるのかなって」
ブレイキングダウン10に出場する萩原裕介(40)がデイリースポーツのインタビューに応じた。最大で年商40億円を稼いだ萩原工業の代表取締役社長を務めながら、格闘家としての才能も持ち、10大会では瓜田純士と対戦する。事業拡大に成功しながらも、なぜ格闘技に打ち込むのか。対戦指名を受けた瓜田純士との決戦、勝利への思いを前後編にかけて掲載する。
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-社長業で繁忙を極める中、ブレイキングダウンに出場しようと思ったきっかけは。
「いやいや、もう格闘家として成功したいとか、ブレイキングダウンで得たもので、何か人生にいい方向につながればとか、商売につながればとか、そういうのは一切考えていなくて、自分がちょっとでも出たいなという素直な気持ちから逃げたくないという思いで出ようと思いました。初め迷いましたけど」
-周囲からの反対とかあったりとかは。
「ありましたね。やっぱり、怪我したらどうするんだとかね。あとは、この年で出ていって、若い子には勝てないでしょ。負けたらどうするんだと」
-誰に言われた。
「先輩が多いかなあ。やっぱりデメリットのほうが多いじゃないですか。この年になると、若い子は格闘技を目指している子だったり、有名になりたい子は絶好のチャンスになるんだろうけど、僕みたいな人生、折り返しの年なので多分、リスクも多いので。まあ負けることより怖いのは挑戦できなかった自分を後悔するということだと思ったんです」
-ブレイキングダウンも10回目。創設当初から出場への意欲もあった。
「1、2、3は見たことないんですよ。4からですかね。見たのは。朝倉未来がやっていたので、なんとなく知っていたんですけど、自分が出たいとか全くそういうのはなくて、面白いことやってるなと。視聴者目線で見ていたんですけど、ちょうど4のオーディションぐらいの時かなあ、たまたま朝倉とご飯を食べている時に今こういうふうにやってるんですけど『見てるよ~』と言ってたら『まだ、試合できるんじゃないですか』と言われたので。『いやもう、動けないでしょ。39だから』っていう会話があったんですよ。そこからですよね。俺ってまだ戦えるのかなって自分に確認し始めたのは」
-朝倉選手からも格闘家として認められていたからこそ?
「そうではなくて、僕には格闘技をやるっていう選択肢がなかったから、考えてもなかったし、言われたこともなかったので、ただこのステージは40歳でも立てるようなステージを朝倉が作ったので、挑戦できるんじゃないですかと言う選択肢が生まれた。そこからですかね。俺もしかしたらまた、戦えるのかなって。そこからですかね。4で瓜田さんがオーディションでいろいろやってるのを見て、5の試合を見て、その時には出ようと決めていたので6に」
-事業について詳しく聞きたい。年商30億と示唆する動画もあるが事業成功の秘訣は。
「成功の秘けつ?努力はしましたよ。会社について、どんな物差しで図って優れているとか優秀だというのは、分からないけど、売上なのか、社員の数なのか、それとも利益率なのかとか、それとも社会への貢献度なのかとかって。ただ僕の中では今は売上高とか、利益とかそこまでを求めてなくて、この会社がどこまで今の規模で続けていけるか。急成長しても怖い部分もあるし、若いときはなんていうか、数字の世界なので売上を伸ばそうとかそういう時もあったのですけどね」
-会社を起こしてから、回りが気づかない太陽光事業とかも手がけ成功。先見の明も。
「先見の明があったかどうか分からないけど、とにかく下積み時代がきついし長かったので、従業員にも苦労をさせていたので、とにかく稼げる仕事を待ってましたね」
-会社を立ち上げ10年持つ会社がほとんどないなか、成長を続けられるのは。
「努力はしましたよ。労働基準局に言われるんじゃないかというぐらいのことは(笑)昔ね。10年ぐらい前はしてましたね。僕の会社が今年でちょうど15年目なんですけど、昔から僕は仕事に関しては細かい。細かいところのちょっとずつの気づきをちょっとしたことを修正していくことの積み重ねだと思うんですよ。大きなことをいきなり変えようと思っても変わらないので。社長もいろんなタイプもいると思うけど、大枠だけ気にしない人。細かいこと、小さいとこから積み重ねでいく人もいるだろうし、僕はそんな勝負師ではない」
-従業員の数は。
「正社員が40弱ぐらいですかね。売上も人数に対しては結構多いので、安定はしてますよね」
-萩原工業の最終目標は。
「今いる社員なのか外部からなのか分からないけど、僕の会社を僕と同じもしくは僕以上に引き継いでいけるような後継者をつくりたい。僕はいなくなったら、会社もドーン(落ちる)となると思うので」
◆萩原裕介◆(はぎわら・ゆうすけ)1983年4月13日生まれ。群馬県出身。前橋育英高1年でボクシング・インターハイに出場。格闘技団体「THE OUTSIDER」では10戦7勝2敗1分。08年に自身が創業した萩原工業を法人化する。建築土木事業、不動産業、太陽光発電事業、グランピング施設「Akatsuki village」を運営。