【サッカー】天皇杯決勝戦を前に思う 99年に奇跡の優勝を遂げた、かつての横浜フリューゲルス
1999年1月1日、彼らが流した涙を忘れられない。彼らとはサッカーの「第78回天皇杯全日本サッカー選手権」で優勝した横浜フリューゲルス・イレブンのことである。
2024年の1月1日は少し寂しい思いをしそうだ。なぜならば、元日に行われることが多い「天皇杯JFA第103回全日本選手権大会」の決勝、川崎フロンターレ-柏レイソル戦が今月9日、東京・国立競技場で行われるからだ。
すでにカナダ、メキシコ、アメリカ合衆国の3カ国共催で行われるFIFAワールドカップ2026大会のアジア2次予選がスタート。24年1月12日からはカタールでAFCアジアカップが始まる。天皇杯の決勝戦の日程が1月1日でなくても仕方がないだろう。
過去、天皇杯の決勝戦では数多くのドラマが生まれている。中でも1999年の横浜フリューゲルス-清水エスパルス戦は思い出深い。
この日、サッカー担当として旧国立競技場の取材現場にいた。この年の10月、フリューゲルスの出資会社のひとつだった佐藤工業がクラブ運営からの撤退を表明し、もうひとつの出資会社だったANAも単独での運営が難しいことから横浜マリノスとの合併が決定。フリューゲルスはマリノスに吸収合併されることになり事実上、クラブが消滅することになっていた。
合併発表後の初試合となった10月31日のセレッソ大阪戦を7-0と大勝した試合後には、サポーターが横浜国際競技場前の広場に座り込み、クラブフロントとの話し合いを要求し、騒然となった。慎深夜までその光景を取材していた私は終電を逃し、始発を待って自宅に戻ったことを覚えている。
この試合以降、フリューゲルスは怒濤(どとう)の快進撃を続けた。11月3日のサンフレッチェ広島戦(広島)、7日のアビスパ福岡戦(三ツ沢)、14日のコンサドーレ札幌戦(札幌厚別)を3連勝し、最後のリーグ戦を終えたからだ。
だが、これは序章に過ぎなかった。負ければその時点でチームは終わる。そんなプレッシャーをはね返し、12月13日の天皇杯3回戦から順調に勝ち進み、23日にはジュビロ磐田を、27日には鹿島アントラーズを破って決勝に進出したからだ。
決勝戦では相手に先制点を許したが、前半のラストプレーで追いつき、後半28分に吉田孝行氏(46)のゴールで勝ち越しに成功。そのまま逃げ切り、5大会ぶり2度目の優勝をもぎ取った。旧国立競技場は5万人を超すサポーターで一杯になり、そのスタンドで巻き起こった歓声、拍手はいつまでも鳴りやまず、「死ぬまで忘れない」などと書かれた横断幕が大きく揺れていた。
修道僧のように柔和なゲルト・エンゲルス監督(66)が残した言葉は鮮烈だった。「優勝したのに残念。どこの国に一番強いクラブがなくなるなんてことがあるんだ」と声を絞り出していた。
同チームは99年2月1日にマリノスと正式合併して消滅した。だが、“魂”は間違いなく受け継がれている。横浜マリノスはチーム名をフリューゲルス由来の「F」を加え「横浜F・マリノス」と改称し、現在に至っている。(デイリースポーツ・今野良彦)