【リング】BD選手のほっそんこと細川貴之が号泣 錣山親方との意外な縁 告別式では“身内”で通される 忘れない教訓「男の鑑やった」

錣山親方(左)と細川貴之(細川提供)
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 「恩人」と慕った親方との最後の別れにボクシング元日本&東洋太平洋スーパーウエルター級王者で現在、格闘技の「BreakingDown(ブレイキングダウン)」で活躍する細川貴之(39)は悲痛の涙を流した。大相撲の元関脇寺尾の錣山親方(本名・福薗好文=ふくぞの・よしふみ)が17日に60歳で死去。23日、東京・江東区の錣山部屋で営まれた告別式に大阪から駆け付けた細川は部屋関係者から「ほっそん(細川)はこちらに」と身内として部屋に通された。“弟子”として親方のそばに居続け、幕内阿炎らとともに出棺から焼骨まで見送った。

 「きれいな顔をしていた。でも、すごくやせて俺より体重が少なかったんじゃないか」。久々に会った親方の姿に号泣。関係者から「親方はよく『細川くんはまだ頑張ってるんだよ』と弟子たちに話していた」と伝えられ、また涙があふれた。

 細川は幼少期の1991年春場所、18歳の貴花田に敗れ、さがりをたたきつけ、悔しさをあらわにした寺尾を覚えている。「小さいのに気持ちの強い人」と好きになった。

 プロボクサー一本では生活できず大阪の「相撲茶屋 寺尾」でアルバイトしていた12年前、店の関係者を通じ親方を紹介された。格闘技好きの親方に気に入られ、励まされたことは数えきれない。東京・後楽園ホールに部屋総出で応援に来てくれたこともあった。

 当時、タイトル挑戦も届かずボクサーとしては多い10敗を記録。進退に悩んでいた時、親方に言われた。

 「相撲協会で1番白星が多いのは白鵬だけど、歴代で1番黒星が多いのは俺(当時)。それを俺は誇りに思っている。負けることは恥じゃないよ。続けていたら結果は出る。あきらめたら終わりだぞ」。通算938敗(現在最多は旭天鵬の944敗)を喫した親方の言葉は心に響いた。

 言葉だけではない。「稽古においで。下半身を強くしないと。下半身を鍛えてやる。気合を入れてやる」と、まさかの弟子入り。東京、九州、大阪と錣山部屋の朝稽古に参加。親方にプレゼントされた黒まわしを締め、四股、すり足、ぶつかり稽古と相撲のフルメニューをこなした。長い時は部屋で2、3週間も寝泊まりし、本当の弟子のようにかわいがられた。時には親方と2人きりの部屋に泊まり「細川くんはもうファミリーだ」との言葉もかけられた。

 細川は日本&東洋太平洋タイトルを奪取。IBF世界ランク3位にまで上がった。「あきらめたら終わり」。親方の言葉があったからこそ、しぶとくリングで闘い抜けた。

 「親方は男気の人。曲がったことが嫌い。ほんまに男の鑑(かがみ)やった」と細川は言う。

 朝稽古の後、毎日、部屋のみんなと唱えた親方の教訓は決して忘れない。

 『苦しいこともあるだろう

 言い度(た)いこともあるだろう

 不満なこともあるだろう

 腹の立つこともあるだろう

 泣き度(た)いこともあるだろう

 これらをじっとこらえてゆくのが男の修行である』

 海軍大将だった山本五十六の「男の修行」。今も細川はその言葉を口ずさむ。

 プロボクサーを引退後、初めて格闘技イベント「BreakingDown」に出場した際は、“素人”相手に、まさかの敗戦。ボクシング界から批判の声も多く耳にした。それでも「男の修行」と、その後も出続けている。

 「鉄人」と呼ばれた親方が引退した時と同じ39歳になった細川。「親方のような男に近づきたい」と、弟子として恥じない生き方を誓っている。

 ◇細川貴之(ほそかわ・たかゆき)1984年12月14日、大阪市出身。大阪・阪南高を卒業し2002年、六島ジムからプロデビュー。14年、日本5階級制覇王者の湯場忠志が持つ日本スーパーウエルター級王座に挑み判定勝利で王座獲得。15年に東洋太平洋スーパーウエルター級王座を奪取。16年にIBF世界同級3位にランクされた。網膜剝離のため17年に引退。戦績は29勝(9KO)11敗5分け。現在は格闘技イベント「BreakingDown」で人気選手として活躍。身長173センチ、サウスポー。愛称は「ほっそん」。

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