【スポーツ】箱根で復権V青学大、選手からは不評だった「負けてたまるか!大作戦」原監督は即決“心の叫び”が呼び覚ました反骨心
2024年の幕開けとともに開催された箱根駅伝で、第100回のメモリアル大会を制したのは青学大だった。大会前は「駒大1強」とさえいわれたが、終わってみればライバルに6分35秒差をつけて引き離し、10時間41分25秒という大会新記録で2年ぶり7度目の総合優勝。2年間駅伝タイトルから遠ざかっていた中、原晋監督(56)が復権を期して掲げた「負けてたまるか!大作戦」は完遂。当初、選手からは「センスないな」などと“不評”だった作戦名だったが、反骨心を呼び覚ます起爆剤となった。
14年大会の初制覇以降、青学大時代の到来とともに原監督の作戦名発表が毎年恒例の風物詩となっている。ただ今回、昨年12月11日の記者会見で「負けてたまるか!大作戦」が発表された際、今までの「ハッピー大作戦」「ワクワク大作戦」などと比べてもあまりにもストレートすぎるネーミングに、「さすがにもうネタ切れか…」と指揮官の本気度に疑問符が浮かんだのが当初の正直な印象だった。
「負けて-大作戦」発表後、首をかしげていたのは青学大の選手も同様だった。4区を走った佐藤一世(4年)は「ちょっとセンスないなと思いました」というのが第一印象で、「今までは多くても4文字で、それが世代の名前になるので、このままいくと『負けてたまるか世代』になってしまうので」。9区の倉本玄太(4年)も「え、ちょっと(名前が)長いなと思いました」と苦笑交じりに振り返った。
ただ、原監督の腹の内は違った。妻で寮母の美穂さん(56)は「今年は(作戦が)すぐに決まったみたい」と代弁する。毎年恒例となった作戦発表も、“広報役”も担う指揮官にとっては骨の折れる大仕事。近年は、年末が近づくたびに「だんだん言うことねーな」と頭をかいていたというが、今年は珍しく即決だったという。「ビビビっときた年って、うまくいったりするんですよね。監督の気持ちをそのまま表したから、ひねりがなかったんだと思います」(美穂さん)。
サラリーマンから青学大の監督に就任して20年。当初は嘱託職員としての契約で、3年で結果を求められた。最後の箱根予選会で惨敗した後、各所に頭を下げて延長してもらい、初出場につなげた。「(当時の原監督は)このままじゃ終われない。負けてたまるかって」(美穂さん)。今や常勝軍団となったが、22年の箱根駅伝制覇を最後に2年間、3大駅伝で駒大に覇権を奪われ続けた。今回も王座を渡せば、連覇記録はさらに続いてしまう。「負けてたまるか-」という、ひねりがない作戦名も、大学長距離界で存在感や発言権を失いかねない指揮官の心の叫びでもあった。
終わってみれば作戦名の通り、選手の反骨心を呼び覚ました。前年度のエース級が一気に卒業し、新チームが始動した当初から「シード落ちするよ」「弱いんだから走らないといけない」と危機感をあおり、けがのリスクが上がることも覚悟で練習量を増やした。夏合宿は過去最長となる3週間弱のメニューを消化。じっくりと地力を蓄えてきた。
それでも12月上旬にはインフルエンザの集団感染にも見舞われ、大会前最後のミーティングで原監督は「準優勝でいい」と現実的な立ち位置を告げた。しかし、これも反骨心の仕上げとなる呼び水。その直後、選手だけで行ったミーティングでは志貴勇斗主将(4年)を中心に「2位じゃダメ。優勝じゃないとダメだ」と発奮し、一致団結したという。
4年の倉本は、最初で最後の箱根路で区間賞を獲得した。「最初はどうかな?と思ったけど、実際に箱根が終わってみて、あの作戦名で良かったなと思います。この作戦名を掲げたことで、団結できたんじゃないか」。佐藤も12月にインフルエンザに加えて虫垂炎を発症しながら、ラストイヤーに区間賞の激走でライバルを引き離した。「結果が良ければ、終わりよければ全ていいのかなと思います。やっぱり駒沢大学さんが1強と言われている中で、選手一人一人に『負けてたまるか』という気持ちは少なからずありました」。
本命視はされなかったが、爽やかなフレッシュグリーンのタスキとは対照的な真骨頂の泥くさい走りで、史上最強といわれた駒大を打ち破った。「そういう年の方が勝っているですよ。強いから勝てるんじゃないかという年は意外と落としている。今年は4年生の意地を感じました」(美穂さん)。後世にも語り継がれるであろう“負けてたまるか!世代”の魂の走りは胸を打った。(デイリースポーツ・藤川資野)